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 1979年に発売された松原みき『真夜中のドア〜stay with me』がSpotifyのバイラルチャートで急上昇し、2020年12月には世界1位となりました。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、オーストラリア、インド、シンガポール、フィリピンなど各国のバイラルチャートでも1位を獲得したということです。
 素敵な楽曲は時代も国も超えて聴かれるという当然のことなのですが、数少ない私のCDコレクションの一枚だったので、感慨深くこのニュースを聞きました。

「どこにも無い都市」への憧れ

 『真夜中のドア〜stay with me』は失恋の歌ですが、どこかドライであまり悲壮感がありません。"stay with me"という英語のフレーズが心地よくリフレインし、歌詞にも自立した女性の客観的な視点が感じられます。70年代に全盛だった演歌や歌謡曲とは明らかに違う雰囲気です。
 この曲を聞いて感じるのは、当時も今も、洗練されていて、上品で、最新の流行を感じさせる、要するに「都会的」ということです。シティ・ポップというジャンルに入るようですが、シティ・ポップは「都市と自分たちとの関係性を描く」ジャンルと言われています。シティ・ポップでは「ショーウィンドウ」や「高速」や「飛行場」など都市のアイコンが歌われ、都会の風景が切り取られます。そして、その都市はニューヨークでもロサンゼルスでも東京でもなく、どこにも無い架空の都市なのだと思います。架空の都市とすることで、実際には過酷な都市生活の現実から離れ、自由にイメージの都会に「憧れ」ることができるのです。

モダニズム

 そんな、都会への憧れとは何なのでしょう?
 しかも、「どこにも無い都市」に惹かれるというのはどういう意味があるのでしょう?
 
 私達は、都市は「カッコいい」もので、田舎は「ダサい」ものというような価値観(最近はそんな風潮も無くなってきましたが...)を何か当然のように受け入れています。18世紀に産業革命が始まる前まで、イギリスではほとんどの人が農村に住んでいました。そのころはまだ都市が「カッコいい」などという考え方はなかったと思います。19世紀中葉まで続いた産業革命の後では人口分布が逆転し70%以上が都市に住むようになりました。国は労働者を集めるため都市生活の素晴らしさ喧伝したでしょうし、実際に都市に住み始めた人々は「住めば都」というように新しい環境を肯定するしかなかったのだと思います。
 そうして徐々に作られた都市生活の価値観は19世紀末から20世紀中葉にかけてのモダニズムによってある意味完成されます。モダニズムは、文学や音楽、絵画、建築など様々なジャンルに跨る芸術運動ですが、どのジャンルにも共通しているのは、それまでのヨーロッパの古い伝統である君主制や封建主義などの権威主義的な思想や体制を拒絶し、現代に相応しい価値観を提起したということです。
 例えば、建築の分野では、それまでの歴史的な意匠を否定し、機能主義、合理主義が追求されました。コルビジェやミース、グロピウスなどの無駄を省き利用者視点で機能的に造られた建築は、個人を主体にする近代に相応しい価値観として世界中に広まりました。
 何故、都会に憧れるのか?という疑問には、この当たりにヒントがありそうです。つまり、産業革命以降、個人主義や合理主義が普及し、これを体現している造形物やライフスタイルを美しいとする価値観がモダニズムを契機に支配的になったということです。そして大事なのは、モダニズムは「古い伝統を拒絶する」ということです。つまり地域社会に残る共同体的なものや権威主義的なものは排除されることになりました(田舎は「ダサい」)。
 そしてモダニズムにおける、現代以降の「何か新しい」ものを肯定し「古い伝統」を排除する態度は、結果的に興味深い副作用を生み出します。

ヴァルター・グロピウス設計 バウハウス・デッサウ校舎(1926年)

過去を否定し、現在以降を肯定するということ

ネオ・ゴシック様式(装飾!) 
Wikipediaより ウェストミンスター宮殿 Mайкл Гиммельфарб (Mike Gimelfarb) – 投稿者自身による作品

 イタリアで17世紀まで続いたルネサンス建築は古代ローマの建築様式を取り入れたものでした。18世紀イギリスのネオ・ゴシック様式は12世紀フランスのゴシック建築を復興する運動でした。ヨーロッパには過去を再解釈することで、新しい表現を創造してきたという伝統があります。
 これは、建築だけではなく、人間の営みは多くの場合、過去を参照しています。しかし、「古い伝統」を排除するモダニズムには、現代から先、つまり未来しかありません。古代ローマ時代も12世紀のゴシック建築も理想とすることができないのです。未だ到来していない未来に価値を置くというのは、「無いもの」を理想とするということです。

 シティ・ポップでは、どこにも無い「イメージ」の都市への憧れが作用していました。これはモダニズムが標榜した「現在以降」の「何か新しいもの」を肯定することと相似形です。
 もう一つの疑問「どこにも無いものに惹かれるのはどのような意味があるのか?」ということについてもモダニズムのなかに答えがありそうです。モダニズムもシティ・ポップも、今まで存在したことないイメージを理想としています。そして、その理想は決して実現することがないので無限に人々を駆動することができるのです。イメージへの「憧れ」なので、それは決して実現しません。しかし、イメージであるからこそずっと「憧れ」させることができます。
 モダニズムの時代、19世紀末から20世紀中葉というのは資本主義が世界を覆った時代でもあります。資本主義がゴールの無い資本獲得のゲームということと、モダニズムの実現しない理想とが相似形なのも偶然ではないのかもしれません。シティ・ポップはまさにそんな時代の価値観を体現しているのではないでしょうか。

インドネシアに流れるジャパニーズ・シティ・ポップ

 『真夜中のドア〜stay with me』の世界的なリバイバルはインドネシアが発端です。Rainych(レイニッチ)というアーチストがカバーしたことから火がつきました。では、このリバイバルにも、モダニズムの価値観が影響していたのでしょうか?
 都会への憧れ、それも、どこにも無い都市への憧れを、1970年代の日本と同じように抱いていたかというと、それは、まったく違うのだと思います。インドネシアでは、既に十分都市化が進みグレーター・ジャカルタの人口は約2,400万人で世界第2位の規模になっています。住人達は、世界の他の国と同じように、理想とした都市生活と現実とのギャップを日々見つめているのでしょう。
 そんな、都市の日常生活で日本のシティ・ポップはどのように聴かれたのでしょうか。
 「昔、そんな都会の生活に憧れたことがあった」
 「でも、それはどこにも無い都市だったんだ」
 という感慨ではないかと空想します。
 過去に理想としたものが本当は存在しなかった。でも、それを懐かしく思い出す。それは、言葉の本当の意味での「ノスタルジー」なのかもしれません。インドネシアの人達はそんなノスタルジーをポジティブに感じることができる。それが、世界中の人々の共感を呼んだのかもしれません。

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引用元:サーチライト・ピクチャーズ『ノマドランド』作品情報

 映画『ノマドランド』は2008年に起こった経済危機の影響で、持ち家を失い車上生活を余儀なくされた人々を描いています。ノンフィクションである『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』がベースになっており、リアリティのある描写が印象的ですが、貧困や格差社会を糾弾するような内容には感じませんでした。
 リーマン・ブラザーズによる無謀な住宅ローン販売に端を発する世界的不況のあおりを受けて生活が一変してしまった。そんな主人公の物語というと、やり場のない怒りや悲しみ、不正を許さない正義がテーマになりそうです。でも、そんなことは描かれません。それは何故でしょう?
 この映画で感じるのは「何か新しいことの始まり」の予感です。それは何なのでしょう?
(以下、ネタバレあり)

Amazonの描かれ方

 車上生活を始めたファーンはAmazonの物流倉庫で臨時雇いとして働き始めます。実際にAmazonはCamper Forceというプログラムを持っていて、オートキャンプ場に宿泊する人々を集め繁忙期の季節労働者として採用しているそうです。ここでファーンは同じ車上生活を送る人たちと知り合い、彼らのコミュニティに接する機会を得ます。
 Amazonといえばファーンがいまの生活を始める原因を作ったリーマン・ブラザーズと同様、グローバル資本主義の代表選手です。しかし、この映画でAmazonは労働者を搾取する強欲な企業として描かれているわけではありません。もちろん優れた労働環境を提供する人間味あふれる企業として描かれている訳でもありません。それは、ただ「環境」として描かれています。車上生活者が季節ごとに集い、生活の糧を得、限られた交流を行う「環境」です。そこではAmazon(的な資本主義を含めて)を否定も肯定もしていません。
 ファーンは旅の途中でアメリア中西部の砂漠や海岸や森などを訪れ、その美しい景色が描かれますが、Amazonもこれらの景色と同じようにファーンの背景として描かれます。美しい砂漠や海も、時には灼熱や荒波で人々を寄せ付けない姿を現します。グローバル資本主義もその行き過ぎによって災禍を引き起こしますが、それは、砂漠や海や森と等価なのかもしれません。

自然との関わり

 ファーンは職を求めて旅しますが、アメリカ各地の美しい自然を一緒に体験できるのも、この映画の醍醐味になっています。砂漠の美しい夕焼け、巨大な岩山の国立公園、巨木が茂る森林、激しい波が打ち寄せる海岸、どれも印象的なものばかりです。
 この美しい景色に感情移入していくことになりますが、そこには、何かいつもとは異なる感覚が付きまといます。そう、ファーンと一緒に周っている私達は「ツーリスト」ではないということです。彼女にとっては生活のため、生きるための旅なのです。でも、それは悲壮感を伴うものではありません。動物達が生きるために移動するのに感傷的になったりしないようにファーンの旅も淡々と続きます。
 それは、生きることと自然が同じレイヤで語られているということです。現代人は自然を何か有難い特別なもののように感じるか、あるいは、それと対峙してコントロールしてやろうと考えるかのどちらかです。そもそも人間の営みも自然の一部であったのですから、本来はファーンの視点こそが「自然」なはずです。そんな「自然」な視点で見た自然に私達は改めて感動するのです。

友人・家族・恋人

 ファーンは旅の途中で出会う人々に共感し時には行動を共にします。人々もまたファーンを思いやりを持って迎え入れます。彼女は車上生活を始めてから3回「家で暮らさないか」と誘われます。友人と家族、そして恋人からです。旅の途中で出会うこれらの人々とのコミュニケーションは彼女を元気付けます。彼女が生きていくうえでの具体的な力となっていたかもしれません。でも、彼女はその誘いをすべて断ることになります。そうした人々と継続した関係を作ろうとはしません。以前のあり方には戻れなかったのです。車上生活を始めた彼女に訪れた変化を一番象徴していることです。
 夫に先立たれ、止む無く車上生活を始めた彼女は、夫との思い出が残る家財道具を倉庫に預け旅に出ます。それは夫との生活にアイデンティティを見出していたということです。夫を失ったいま、新たなアイデンティティは友人や姉、新しい恋人との生活の中には無かったのです。ノマドとなった彼女が見出したアイデンティティとはどのようなものだったのでしょう?

「最後のサヨナラはあり得ない」ということ

 車上生活者の友人が亡くなり、コミュニティの仲間と見送ったあと、コミュニティの年長者は言います。
「我々はサヨナラは言わない」
「実際、サヨナラを言っても半年後や5年後にばったり会うことになるんです」
「なので、また、どこかで会いましょう“See you down the road”と言います」
 ノマドは自分が定住する土地を持ちません。所属する組織や家族も持ちません。そんな彼らは半年ぶりに会う友人や5年ぶりに会う友人との関係のなかに生きています。旅する道や自然環境との関係のなかで生きています。そして、Amazonなど人工物との関係のなかで生きています。
 その関係は時に強まり、時に途切れ、また繋がりを繰り返します。そのような揺れ動く関係そのものがアイデンティティであったなら誰かと永遠にサヨナラということは無いのです。
そして、それは死者に対しても同じなのです。

そして、ポストヒューマンへ

 哲学者のロージ・ブライドッティは既に「人間」という枠組みの有効性は失われ、我々は「ポストヒューマン」になっているといいます。それは高度に情報化しグローバル化した社会と「人新生」と言われる地球環境の大きな変化を受け、従来「人間」と考えられていた概念が修正を迫られているというものです。
 近代以降、主体は個人に帰属してきました。また、個人は法人や国や民族などに所属することでそれをアイデンティティとしてきました。これが、男性、白人、ヨーロッパ中心の世界を作り上げてきたのです。そこから、健常者と障がい者、富める者と貧しい者、男性と女性の区分が生まれます。このような個人主義の障害を排除するために、彼女はノマド的な主体のあり方を提起します。それは、個人や所属する集団に固定されたものではなく、ながれうつろう他のものとの関係のなかに作られるものです。自分と周りの生物や非生物との関係のなかに新しい主体を見出します。
 「ノマドへの生成変化のプロセスが含意するのは、自らを世界の中心だと捉え、伝道師を買って出るヨーロッパの役割を拒絶することである。」
 自らを世界の中心だと捉えたヨーロッパ文明の最果てがリーマン・ブラザーズでありAmazonだとすると、この映画で描かれるノマド的主体はこれを拒絶するというよりも、それさえも包含するような視点を私達に示してくれます。

 久しぶりにネバダ州の家に戻ったファーンは家財を処分して再び旅にでます。これがポストヒューマンになった瞬間ではなく、彼女は既にポストヒューマンだったのかもしれません。そして、それは私達すべてに言えることなのかもしれません。

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 デザイン理論の歴史では、デザインは「直観」なのか「科学」なのかという議論が継続して行われてきました。従来からデザインは特別な才能を持ったデザイナーが行うものとされてきましたが、1960年代にデザインを「科学」における思考方法として捉えたのがハーバード・サイモンでした。その後1980年代に入りサイモンの「デザインは科学に立脚する必要がある」という考えを批判したのがドナルド・ショーンです。彼はデザインには神秘的で直観的な側面が残るとしています。21世紀に入り「デザイン思考」はデザイン業界を飛び越え、あらゆる領域でスポットライトを浴びるようになります。しかし、デザインは科学のように形式化できるのか?それとも個人的な直観に依存する神秘的な何かが必要なのか?その答えは宙ぶらりんのままです。        

 そんな宙ぶらりん状態で起こっている問題を鋭く指摘した文章があります。石橋秀仁氏の『「デザイン思考」の神秘と欺瞞』というブログ記事です。

“「デザイン思考」の神秘と欺瞞"という記事

 このなかで石橋氏はデザイン思考そのものはリスペクトしつつ、デザイン思考をめぐる言説を批判しています。(以下、下線部が引用です)

 観察・分析をもとにデザインのコンセプト(概念)を作る作業は文字通り「概念操作」です。いわば言語的な操作、象徴(シンボル)の操作とも言えます。でも、それをプロトタイプというかたちにプレゼンテーション(現前化)するところには飛躍が必要です。(中略)この飛躍は「発想」の際に生じます。「発想」の場としての「ブレインストーミング」(以下「ブレスト」)において飛躍が生じます。

 として、デザイン思考に元々内包されている「飛躍」とそれが起こる「ブレスト」にフォーカスします。 

 ブレストのプロセスは、本人や観察者が細かく分析しようとしても、なかなか解明されないでしょう。その意味で「ブラックボックス」です。(中略)ブレストという「コミュニケーション」はシンボルの交換や操作といった理知的(インテリジェント)な「コミュニケーション」ではないと感じます。イメージ的で、反射的で、身体的で、無意識的で、カオスで、神秘的な「コミュニケーション」です。

 このようにデザイン思考の最も重要な局面である「発想」が神秘的なもので理知的には還元できないとしています。それでもこのような思考方法を取るデザイン思考を西洋社会の新たな動きとして肯定的に捉えます。

 個人の心の中で起こる無意識的・創造的な活動だからこそ、個性的・独創的・属人的な発想につながりやすいのがブレストだと思います。もし、「デザイン思考」に思想的な意義があるとしたらこれです。伝統的西洋思想では「方程式を解くような非属人的・形式的・人間疎外的な手法」を通じて解を導き出すことがよしとされてきました。これに対して、新たに「属人的・非形式的・人間依存的な手法」が「発見」され、「デザイン思考」として西洋社会のインテリ層に普及しつつあります。

 2012年の文章なので、日本にデザイン思考が紹介され始めた頃です。この時点で、ここまで深い洞察を持たれていた石井氏には、ただただ敬服してしまいます。そして、デザイン思考に隠されている「欺瞞」にも焦点を当てます。

 しかし、ここには「デザイン思考」の欺瞞も隠れています。”形式化の外側にあるものを手法として形式化するという矛盾”をはらむ「デザイン思考」の「本質」は、神秘的に語られるしかありません。これについついては「デザイン思考」自体が悪い訳ではなく、そもそもデザインという行為には神秘的な瞬間が生じるのだからしかたありません。しかし「デザイン思考」という「誰にでも実践できる洗練された手法」があるかのうようなプレゼンテーションは嘘っぱちです。「デザイン思考」がまるで「非属人的・形式的・人間疎外的な手法」であるように見せかけているのです。

 引用が長くなりましたが、石橋氏はデザイン思考の「本質」は形式化の外側にある神秘的なものだとしています。ここでいう「神秘的」というのは反射的、身体的、無意識的、属人的なもので、「修行」によってしか体得できないので、これを「誰がやっても素晴らしい結果が出る手法」のようにいうのは「欺瞞」であるというわけです。従来のデザイン思考で説明されている範囲を対象にするなら、私も石橋氏の指摘をそのまま100%支持します。

「神秘」ではなく「アナロジー」

 さて、神秘的と言われている飛躍は「発想」の際に起こるのでした。それはたびたび「ブレスト」というコミュニケーションを通じて生じます。「ブレスト」は多様な参加者が既存概念や先入観にとらわれずに自由に発言することで、お互いの発想を利用して新たなアイデアを生み出すことを期待しています。そこでは因果関係は無視され論理的な思考も抑えられ、様々なイメージが氾濫することになります。様々なイメージは思いもしないイメージ同士の結合を生じます。

「今は軽量化のアイデアを出しているのに、こいつはなんで宅急便の話しをしているんだ」
「試作品が宅急便で届くのか、、、宅急便のドライバーは台車で荷物を運んでいていつも忙しそうだ」
「そもそも軽量化は運びやすくするためだよな、、、宅急便の台車には車輪があるなぁ」
「軽量化が難しければ車輪をつけてしまえばいいのでは!」

「耐久性が問題なのに、またサッカーの話しをしている」
「あれあれ、こっちの人は家庭菜園の話しを始めた」
「次はなんだ、地球温暖化の話しか、、、、」
「でも、どの話しも面白い!このメンバーならどんな聴衆でも満足する講演会ができそうだ」
「そうか!色々な材料を組合せればあらゆる環境で耐久性が保てるかもしれない」。

 神秘的と思われている発想の「飛躍」は多くの場合このように起こっているのではないでしょうか。行われているのはアナロジー思考です。「類似しているものから推しはかって考えること」が発想の飛躍をもたらしています。

 軽量化しなくてはならない製品は「運ぶ」ということで宅急便の荷物と類似性がありました。宅急便は台車で運ばれ、その台車には車輪が付いています。そこから「車輪」を付けるというアイデアが生まれます。製品そのものや、軽量化の技術をどんなに時間をかけて考えても「車輪」の発想には辿り着かないでしょう。

 温度や湿度、粉塵や衝撃など耐久性を問われる環境は様々です。これは、ブレストメンバーが魅了するであろう「様々な聴衆」がいる環境と類似しています。ブレストメンバーの個性の多様性から、単一の材料ではなく複数の材料という発想が導かれます。

 多分、「本質」は「神秘」ではなく「アナロジー」です。 

それでも「体得」する部分はある

 それでは、アナロジー思考は伝統的西洋思考のように形式化できるのでしょうか?私は形式化は可能ですが、それには限界もあると考えています。有効な手順に沿って進めることで、アナロジー思考への敷居を下げ、成果のレベルを上げることはできます。しかし、誰もがいつでも素晴らしい成果を出せるようなものではありません。

 これは、あらゆるスポーツや楽器演奏、その他の熟練が求められる職業にも共通しています。テニスには、ラケットの持ち方、腕の振り方、両足への体重のかけ方などを教えてくれる教則本があります。スクールに行けばトレーナーがメソッドに沿ったコーチングをしてくれます。誰でもある程度は上手くなりますが、そこから先は人それぞれ。素質と練習量が上達曲線の主な係数です。

 アナロジー思考もプラクティス(練習)が重要なことは同じで、それがメソッドに沿ったものであれば更に効果的だと思います。どうしても、最後は属人的に体得していかなければならない部分は残りますが、それは、テニスでもゴルフでもバイオリン演奏でも、ほとんどの職業においても、同じことなのです。

 ナイジェル・クロスは「創造的飛躍」がデザインプロセスの中心だといいましたが、これはアナロジー思考に近いものだと思います。彼はデザインを科学から独立可能な専門技能と主張していましたが、一方で「デザインは神秘的で言葉では表せない技能として扱う必要はない」とも言っています。「直観」か?「科学」か?の対立ではなく、デザイナーが持つ独自の認識、感知、思考の方法が「創造的飛躍」をもたらすというものです。デザイナーが持っている「独自の認識、感知、思考の方法」はテニスと同じように練習で培われるのは間違いありません。

神秘主義への処方箋

 「デザイン思考」の形式的手法をなぞって実践していれば、あたかも「機械的」に成果が出ると思っている。そういう人はもちろん失敗します。失敗したときに「まだ自分が知らない何か」=神秘があるように思えてくる。そして「秘術をマスターした人」=権威に頼りたくなってくる。

 石橋氏はこのように「体得」が必要なのに形式知だけで実践できるかのような言説は結果的に権威主義に陥ると警鐘を鳴らしています。こうならないための処方箋はどのようなものでしょう?

 まずは何事にもたいていは「体得」する領域があると認めることでしょう。そして、その領域を出来るだけクリアに見渡すことです。デザインにおける「飛躍」は個性的・独創的・属人的な発想が契機になるのですが、このままでは「何を」体得すればいいのか分からないままです。その結果の「秘術」→「神秘主義」→「権威主義」ということです。発想の際に行われているアナロジー思考を理解することで「何を」体得する必要があるか分かります。「ボールを遠くに飛ばす」を体得するのは難しいですが、「スイングのフォーム」と「体重移動のタイミング」を体得するというのは、何をすれば良いか明らかです。これは単に具体化のレベルの話しですが、とても重要だと思います。
 もう一つは、「隠されていて、分かる人だけが分かる」ということに価値を置かないことです。「体得」が必要なのに形式知だけで実践できるかのような言説は結果的に「隠されている」こと自体を価値にしてしまいます。これが神秘主義のスイッチです。バイオリンもテニスも「隠されている」手法に価値などなく、活動の成果である美しい演奏や素晴らしいプレイなどが価値です。それは、デザインもアナロジー思考も同じなのです。

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 最近「ポストヒューマン」とか「ポスト人間中心主義」という言葉をよく目にするようになりました。デザイン思考はもとよりデザイン一般においても「人間中心」が大看板です。利用する側であるユーザーのニーズや能力を理解し「人間」である彼らの期待に応えることを命題にしてきたのです。これは、モノづくりが「生産者」の都合で行われ、利用する人達がないがしろにされてきたという経緯が関わっています。生産するための機械や生産者の儲けを優先するのではなく、利用者のことを第一に考えましょうというものです。
 デザインの文脈で「ポストヒューマン」という言葉を聞くと、いままでの前提が否定されているようにも聞こえます。いったい「ポストヒューマン」とは何なのでしょうか?私の考えでは、デザインにおける「人間中心」の考え方を否定するものではありませんが、その前提が「崩れて」いるということだと思います。
 前提というのは「ヒューマン=人間」です。

地球環境の変化とテクノロジーの進歩

 ここ数十年で人類に大きな影響を与えたトピックと言えば、地球環境が大きく変化したことと、テクノロジーの爆発的な進歩でしょう。第二次世界大戦以降、急速に進んだ人口増加や工業化、グローバリゼーションなどの影響で二酸化炭素やメタンガスの大気中濃度、成層圏のオゾン濃度などがこれまでにない影響を受けているといわれています。
 最近になって、私達は1950年代に始まった「アントロポセン(人新生)」という地質年代を生きているのだといわれるようになりました。これは、現在の人類が地球に与えている影響が地質年代という遠い未来からでも明らかなほど大きな痕跡を残しているというものです。火山の噴火や氷河期などに匹敵する、地球規模の急激な変化は人類が起こしているものなのだという自覚を促す言葉です。

 一方、同じ1950年代にIBMが初めての商用機を発売し本格的なコンピュータの時代が幕を開けます。現在ではAI技術の進歩でコンピュータは人間の声や顔を認識し感情も検出できるようになりました。私達は様々なIoT機器が組み込まれた空間で生活し、VRは新しいリアリティを示しています。そして、SNS上ではいくつものアイデンティティを持つようになりました。
 こうしたテクノロジーは生身の身体とも融合を初めています。外骨格型のパワードスーツは既に実用化が始まっており、ICチップを体内に埋め込むことに抵抗の無い人もいます。イーロンマスクはブレイン・コンピューター・インターフェースで脳とコンピュータの接続を目指しています。
 人間の身体自体も様々な観点で工学の対象になっています。近年の合成生物学の進歩はDNAを書き換えることで、病気を治療したり特定の病気になり難い身体を作ることを目指していますが、その先に見えてくるのは、今までにない新しい生命です。

 私達人間が地球という規模に影響を与えているという事実は、その上で暮らすすべての生命と(そして非生命とも)一蓮托生だという認識を深めます。人間だけが暮らしやすく幸せということはないのです。それは人間が特別であるという考え方の見直しを迫ります。自然環境を消費することで「人間」のテリトリーを快適に守ってきた私達は「自然vs人間」という対立軸で考えるのではなく、同じ地球環境の一要素であることに気付き始めています。
 テクノロジーは私達の身体を拡張し生命そのものの概念を揺さぶり始めています。生まれたときの身体を自分と考える「人間」もいますが、電子機器に接続された身体を持ちインターネット上の仮想空間に新たな自分を発見する「人間」もいます。 これからはバイオテクノロジーで改変された身体を持つ者も現れるでしょう。「人間」とそうでないものとの境界がボヤけ、ますます曖昧になっています。

「人間」という抽象的な概念

 そもそも「人間」という言葉が抽象的です。アナロジカルデザインでは抽象化が鍵になりますが、ここでは「人間」を考える入り口に少し唐突ですが「自動車」をアナロジーとして考えてみます。
 子供が「僕のお父さんは自動車の仕事をしてるんだよ」と言ったとき、あなたの頭の中には何がイメージされるでしょう?「自動車の仕事」には、例えば「自動車を販売する」というのもありますが「テスラ・モーターズで自動運転システムを設計」している場合もありますし、「改造車向けの板金加工」をしているのかもしれません。さらには「F1レーサー」かもしれませんし「路線バスの運転士」の可能性もあります。日本の就業人口の10分の1は何等かのかたちで自動車に関連しているともいわれているので、その内訳は当然様々ということです。
 「人間」という概念も「自動車の仕事」と同じように抽象的です。「人間にとって重要」「人間のために」「人間だからこそ」という言葉は本当は意味がないということが分かります。「F1レーサーにとって重要」なことと「自動車のセールスマンとって重要」なことが違うように、自動車の仕事をしている人すべてにとって共通の重要事を定義するのは困難です。
 「人間」においてもこれは同じことなのですが、何故か「人間にとって重要」なことにはコンセンサスが得られているように感じています。

 ここで、改めて「人間」を「自動車の仕事」と同じ要領で具体化してみましょう。
・火山の噴火や隕石の衝突のように地球環境に影響を与える要素
・動植物を絶滅させる根源でありかつ動植物が無いと絶滅してしまう哺乳類
・AIやbotなどと共に巨大なネットワークを構成するエンティティの一種
・電子デバイスとの結合や生物学的な改変で新たな進化の過程を向かえた生物種

 「人間」という言葉には暗黙のうちに「動物じゃない」とか「機械じゃない」という意味が含まれてきました。しかし、現在の状況下でよくよく考えてみると「動物じゃない」ことや「機械じゃない」ことに重要な意味がないことに気付きます。そうすると「人間」という言葉で抽象化されてきた概念は見直しを迫られます。そこに見えてくるのは「人間」という使い古された言葉ではありません。
 哲学者のロージ・ブライドッティは『ポストヒューマン』という著作で「人間」という枠組みが時代遅れであると指摘しています。「人間」という物差しが男性と女性、白人と黒人、健常者と障害者、富めるものと貧しいものなどの区分を生んだのです。グローバルにネットワーク化が進んだ現在、こうした区分は乗り越えることが可能だし、そもそも混じり合って綺麗に区分できない状態が生まれているというのです。このような状況で「人間」に変わるものとして彼女が提示するのが「ポストヒューマン」です。

ポスト人間中心デザイン

 デザインは「問題を発見しこれを解決する活動」ですが、現在の状況で旧来の「人間」を軸に問題発見や問題解決を試みても限界があります。「人間vs動物」という対立構造では「動物」を遠ざけ自分たち「人間」のテリトリーをいかに確保し快適に暮らすかという発想になります。「人間vs機械」という構造からも同じように人工物を忌避し自然を神聖視するか、反対に人工物を金儲けの手段として盲目的にありがたがるかのどちらかになります。
 このような視点では、旧来の「人間」における問題は発見・解決できるかもしれませんが、それは、本当に有効なことなのか?という疑問が生じます。これが「ポスト人間中心デザイン」の出発点です。人間と動物(などの地球環境)や機械(に代表されるテクノロジー)を対立するものとして捉えるのではなく、全て等価で社会的にも物理的にも融合する可能性がある単なる要素であるとしたとき、まったく新しい問題が立ち上がってきます。

 カルフォルニア美術大学のホーコン・ファステはポスト人間中心の観点でもデザイナーは積極的な役割を果たすことができるといいます。彼はこの先、テクノロジーの進歩により人間の知能を超えたものが生み出されることを前提にしており、これが世界に及ぼす影響を考えコントロールすることにより社会を維持する必要があると考えています。それを行うのがデザイナーというわけです。
  初めて訪れた空港で「人間」が迷わず飛行機に乗って目的地にたどり着くのを助けたのが人間中心デザインでした。 人間の知能を超えたものが、暴走することなく社会に順応し力を発揮するようにデザインする。ファステが考えるのは人間の知能を超えたものが社会が目的とするところに迷わずにたどり着くためのデザインです。

「誰のためのデザイン?」もう一度

 D・A・ノーマンの名著『誰のためのデザイン?』の原題は「The Psychology of everyday things(毎日使う道具の精神分析学)」です。この本は「人間中心デザイン」をいかに実現していくかというのがテーマなので『誰のためのデザイン?』という日本語版タイトルは秀逸です。「ポストヒューマン」の議論が活発になるなか、もう一度「誰のためのデザイン?」が問われているのでしょうか?
 ブライドッティはポストヒューマン時代の主体性は個人でもなければ、個別のアイデンティティをもった法人や国や民族のような固定化したものではないといいます。それは、流れうつろう他のものとの関係のなかに作られるものだといいます。「ポストヒューマンになるということは、人間たちに無関心になるとか、脱人間化されるとかいったことではない」ともいっています。
 機械や動物や環境などとの流れうつろう関係というのは実に多種多様です。デザインが暗黙のうちに基盤に置いてきた「人間」そのものが揺らぎはじめているのですから、もう「誰の」のように特定することは難しいのかもしれません。そこには新しい問題が山積みです。そしてそれらには誰でも分かるような正解など存在しません。でも、そんな複雑で流動的な状況はデザインとデザイナーの可能性を広げてくれるのは間違いありません。

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 2015年に出版されたアンソニー・ダン&フィオナ・レイビーの『スペキュラティブ・デザイン』は新しいデザインの立場を鮮明にしていて、とても刺激的です。しかし、従来からのデザインのイメージを前提にすると分かり難い面もあります。「問題解決から問題提起へ。」というサブタイトルが示すことは何なのか?同じように、未来を舞台に問題提起を行ってきたSF(Science Fiction)を足掛かりに スペキュラティブ・デザインにおける問題提起について考えます。

SFとの親和性

 私達は「問題発見」と「問題解決」はセットで考えていて、「発見した問題は解決しなければならない」と思ってしまいます。スペキュラティブ・デザインはそんな先入観を簡単に飛び越えます。未来を予測して解決策を探るのではなく、未来の可能性を「こうもありえるのではないか」と示すことで、問題を提起し、「未来について考えさせる(思索=speculate)こと」を目的にしているからです。スペキュラティブ・デザインを提唱したアンソニー・ダンが言う「Not Now,Not Here」は可能性を広げるために構想する別世界のことです。

  アンソニー・ダン講演動画「Not Here, Not Now」 2014年12月13日、京都工芸繊維大学

 未来について考えるのは、元々SF(Science Fiction)がやってきたことです。SFも「Not Now,Not Here」を舞台に様々な物語を紡いできました。SF作家のブルース・スターリングが提唱する「デザインフィクション」は「物語世界にリアリティを与えるためのプロトタイプ(試作品)」のことを言っています。これは、まず物語がありそれにリアリティを与えるためにデザインされる創作物、というように理解できます。
 「スペキュラティブ・デザイン」と「デザインフィクション」は重なるところがあると言われていますが、「スペキュラティブ・デザイン」はデザインされたモノを入り口に、それを見る人々を別世界の物語に誘います。しかし、その物語は完結した長編小説のようなものではありません。俳句のように観点や価値観を伝える程度です。なので、そのデザインを見る者の想像力が試される、まさに、思索的なデザインです。初めに「Not Now,Not Here」という設定があり、そこにおける創作物を通して物語を駆動していくというプロセスです。

 いずれにしても、「スペキュラティブ・デザイン」はSFと親和性が高いといえそうです。視点は、いまあるこの世界の人間に向けられているのではなく、異なる世界・異なる時間に向けられています。人間中心のデザインではなく物語を構築するためのデザインは私達に何をフィードバックしてくれるのでしょうか?

Not Now,Not Hereという設定

 よく、物語は3つの要素からできていると言われます。
  ・設定
  ・ストーリー
  ・キャラクター
 この3つの要素のどれから先に考えるか、あるいは、どれを重要視するかというところに作家の個性が現れ、物語の質に決定的な影響を与えるというものです。シナリオに大金をかけるハリウッド映画などは「ストーリー」重視、日本のアニメなどは「キャラクター」重視でしょう。SFは間違いなく「設定」を重視している分野だと思います。「科学」と「空想」という手段を使って作り上げているのは「設定」にほかならないのですから。

 1953年に書かれた、アイザック・アシモフのSF小説『はだかの太陽』に出てくるのは、人口が爆発的に増え巨大なドームで外界から隔離された都市にひきこもる地球の姿です。限られたスペースを何とか共有しながら暮らしていますが、身体的な接触が過剰になっています。そんな大都市に暮らすニューヨーク市警の刑事が、地球とは反対に惑星全体で人間(大昔に移植した地球人の子孫)が2万人しかいないソラリアという星で起きた殺人事件の捜査を命じられます。この惑星の住人はほとんど人に会うことなく一生を過ごします。必要なことは3次元ホログラフィーによる通信で済ませ、経済は人間1人当たり1万台というロボットによって担われています。ドーム都市に住み「外の世界」が恐ろしいと感じる地球人刑事が、人に会うことを忌み嫌うソラリア人を相手に難事件の解決に挑むというものです。

<地球>
人口過多
プライベート空間なし(共有)
外の世界が怖い

<惑星ソラリア>
人口過少
広大な私有地
人に会うのが怖い

 こんな、魅力的な「設定」の中に殺人事件が放り込まれれば、アシモフの秀逸なストーリーには及ばなくても、他にも色々なストーリーが立ち上がってきそうです。そして、この状況は現在のコロナ禍における社会的なコンセンサスの問題にも直結したテーマです。

 このようにSFは昔から「設定」を駆使して、想像力を刺激し問題を提起してきました。「スペキュラティブ・デザイン」においても現実の世界から「設定」を変えることで、デザインのトリガーを引き、見る者の想像力を刺激するという構造は同じです。「設定」にリアリティを持たせるために使われるのが「科学」という点も一致しています。このように、まず「設定」を構想することが、想像力の入り口になっています。

問題提起型のデザインアプローチが目指すもの

 SFはデザインではないので、元々「問題解決」することは目的にしていません。問題を提起し想像力を刺激する。そして、物語で人々を楽しませたり、考えさせたりすることが目的です。SF作家に自分が提起した問題を解決する役目を負わせたら、作家たちの想像力はこじんまりたものになりそうです。
 「実現可能性」や「収益性」といったビジネスの概念が想像力を奪ってきたのは明らかです。SF作家はこのような制約を受けないので想像力の羽を広げることができたのです。一方、デザインはビジネスと連携して発展してきました。ビジネスとして成立するという制約のうえで創造性を発揮することがデザインの役割だと考えられてきたのです。

 しかし、考えてみれば当たり前なのですが、ビジネスは世界の一部でしかありません。優秀なビジネスマンも家庭では優しい父親でしょうし、町内会の役員をやっていたり、週末はボランティアにも出かけるかもしれません。ビジネスの周りには家庭や地域社会や自然環境が広がっています。そんな、世界のほんの一部のために想像力を諦めるのか?という問いが、「スペキュラティブ・デザイン」の発端になっているのではないでしょうか。「想像力を諦めない」としたデザインは問題提起型のアプローチになるのです。SFが文章や映像をメディアにしているのに対して、デザインをメディアにした問題提起です。デザインが直接、想像力を刺激し思索を促す役割を担うことになったのです。

 しかし「スペキュラティブ・デザイン」にも問題提起の「その先」を問う声があります。やはり、問題提起だけではなく、これを受けて何等かのかたちでの実装(問題解決)が必要ではないかというものです。でも、私はあまり「その先」を強調しないほうが良いと思います。SFの黎明期に「荒唐無稽だ」「子供じみた夢物語だ」という批判がありましたが、もちろんSFは実用的であることも現実的であることも目指していません。「スペキュラティブ・デザイン」も「その先」を強調しすぎると、同じような批判を受け「結局、役に立たない」という評価になってしまうかもしれません。SFにインスパイアされた科学者や技術者が革新的な発明を行った例がたくさんあるように、「その先」は受け手の想像力に任せるのがいいのではないでしょうか。

 「問題発見」の1本足で立つことが、新しいメディアとしてのデザインを模索する「スペキュラティブ・デザイン」の本来の姿です。問題を発見し想像力を刺激すること。それこそが想像力が枯渇している現代における有効性であり、私達へのフィードバックなのです。

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 カメラのデザインを決めているのは何なのでしょう?デザインの移り変わりを見ていくと「テクノロジー」と「意味」がカメラのかたちを決める大きな要因になっていることが分かります。私達の周りで技術は進む一方ですが「テクノロジー」だけでモノのかたちが決まっているわけではありません。そのモノが持つ「意味」が重要な役割を担っています。ここでは、35mmカメラの源流であるバルナックライカから大きく変わることが無かったカメラのかたちが1990年代に大きく変化し、その後、再びバルナックライカ型に回帰した経緯を辿ることで、デザインにおける「テクノロジー」と「意味」の関係を考えます。

デザインを確立したバルナックライカ

 35mmフィルムを使うカメラは1913年にオスカー・バルナックが初めて作りました。この時代、35mmフィルムは映画用のシネフィルムとして使われていましたが、これをスチルカメラに転用したのです。それまで、通常のカメラは木製の大型のもので、重いガラス製の写真乾板を使っていました。バルナックが勤めていたエルンスト・ライツ社はこの35mmフィルムを使うカメラを1920年に市販し「ライツのカメラ」(Leitz Camera )ということで「ライカ」と名付けました。

バルナックライカ(LeicaⅠ,1927)© Kameraprojekt Graz 2015 / Wikimedia Commons, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

 このカメラがその後のカメラのデザインを決めたと言われています。ただ、それは美的に優れていたというより、機能的な制約によるものでした。35mmフィルムが入ったパトローネを一方の軸に装填し、もう一方の軸で巻き上げます。両方の軸の間でフィルムの感光面が平らに広がるスペースがあり、これと直角の方向からレンズで集めた光を当てます。光が丁度フィルムの感光面で焦点を結ぶ距離になるようにレンズの位置が決められます。もちろん光は常時当たっているのではなく、一瞬だけ取り込まれるようにシャッターがレンズとフィルムを隔てなければなりません。そして、これら全ては光が入らないように慎重に塞がれたケースに入ります。ところが、この暗箱はフィルムを入れるときには簡単に開け閉めができたり、レンズを交換したり、シャッター速度を変える機構も合わせて持たなくてはなりません。さらに、これらを全て手のひらに乗るようなサイズで実現するということになります。
 これだけの機能を実現して見せたのだから、ライカがスタンダードのデザインになるのも当然です。世界中のカメラメーカーはライカをコピーすることから始めました。日本でもたくさんのライカコピー機が作られましたが、やはり日本の技術力は素晴らしいもので、なかには「ライカを超えた」と言われるほど高い品質を持つものもありました。

「ライカを超えた」と言われたキヤノンレンジファインダー Canon ⅣSb,1952 (wikipediaより GFDL, リンク

Leica M3,1954 (wikipediaより Rama – 投稿者自身による作品, CC BY-SA 2.0 fr, リンクによる)

 ところが、1954年にライカから「M3」が発売されると、その性能の高さのあまり日本のカメラメーカーがそろって開発方針を一眼レフカメラに切り替えることになります。それでも、カメラとしての原型はそれほど大きく変わっていません。ファインダーの機構が変わりましたが、ライカが設定した機能はほとんどそのまま引き継がれることになります。

 その後もカメラメーカーは沢山の名機を生み出しますが、1913年から始まった伝統は変わることはありませんでした。ライカを頂点にしたヒエラルキーは好き嫌いはあるにせよ、厳然として存在し継続していたのです。

一眼レフになっても基本構造は同じ
Nikon F,1959

テクノロジーによるデザインの変化

 ところが、1994年に、思ってもいない方向から変化が起こります。計算機の会社であるカシオがデジタルカメラQV-10を発売したのです。デジタルカメラと言えるものはこれ以前にもありましたが、QV-10は撮影画像をその場で確認できる背面の液晶パネルやパソコンと直接接続して画像を移動させる仕組みなど、現在に続くデジタルカメラの基本的な機能を実現したものでした。右側に極端に寄った位置にあるレンズ。このレンズ部分は垂直方向に回転し撮影画像を目視しながらシャッターを切れるものでした。35mmフィルムという制約が無くなったことで、カメラはデザインを思い出したように自由になります。

1994~2005 デジタルカメラ黎明期の多彩なデザイン

レンズ回転型 Casio QV-10,1994
(Wikipadiaより GFDL, リンク

香水瓶型 CONTAX i4R,2005
縦型 FUJIFILM FinePix 1700Z,1999
(Wikipadiaより Ypy31 – 自ら撮影, パブリック・ドメイン, リンクによる)
Nikon COOLPIX 950,1999
(Wikipadiaより CC 表示-継承 3.0, リンク)

SONY Cybershot DSC-F1,1996
(Wikipadiaより Morio – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる)
Canon PowerShot 600,1996
(Wikipadiaより Morio – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる)

 それはまるで、カンブリア爆発のようです。テクノロジーの発展はデザインに決定的に影響するということでしょうか?つまり、テクノロジーがモノの形を規定しているということなんでしょうか?バルナックの考えたテクノロジーがその後80年に渡ってカメラのデザインを規定してきました。そして、デジタルという新しいテクノロジーが登場した途端、カンブリア爆発を起こしたことからもこの考えは有力に思えます。

   「テクノロジーがデザインを規定する」

バルナックカメラ型への回帰

しかし、待ってください。最近のカメラデザインを見てみましょう。

2004~2018 昔のフィルムカメラのような最近のデジタルカメラ

FUJIFILM X100,2011
(Wikipadiaより Kateer – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる)
OLYMPUS PEN E-P1,2009
(Wikipadiaより Julien Min GONG from Beijing, China – Olympus E-P1, CC 表示 2.0, リンクによる)
SONY Cyber-shot DSC-RX100,2012
(Wikipadiaより Oilstreet – 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, リンクによる)

Nikon Df,2013
(Wikipadiaより ranekoNikon 1 V2 + Nikon Df, CC 表示 2.0, リンクによる)

Panasonic LUMIX DMC-LC1,2004
(Wikipadiaより 663highland, CC 表示 2.5, リンクによる)

SIGMA DP-1,2008
(Wikipadiaより Ozizo – Ozizo’s file, パブリック・ドメイン, リンクによる)

 どれもみな、バルナックライカの延長のようなデザインに戻っています!横長の小箱という基本構造があり、その側面中央にレンズが付いています。操作系のボタンやダイヤルが小箱の上部に配置されているのも1913年から変わっていません。レンズ回転型も香水瓶型も縦型も進化の激流のなかでは生き残れなかったということでしょうか。ここから分かるのは、テクノロジーはモノの形に決定的に影響しますが、それが全てでなないということです。では、何が影響しているのでしょう?それは、製品が持っている「意味」です。私達が製品を購入するとき、機能だけで選択しているのではありません。その製品が持っている「意味」が大きく影響しています。

 オリンパス Penはライカのサブカメラに使える性能を目指して1959年に米谷美久さんが開発したハーフサイズカメラが源流です。ワイドレンズが付いたPen-Wは戦場カメラマンの石川文洋さんや写真家の森山大道さんが愛用したことで有名です。低価格だけど性能に妥協しない本格志向。そんなコンセプトを受け継いだのが2009年に発売されたデジタルカメラのシリーズです。

OLYMPUS PEN3,1965
(Wikipadiaより John Nuttall from Hampshire, United Kingdom – Pen D3Uploaded by oxyman, CC 表示 2.0, リンクによる)

 ライカM3ショックで一眼レフに舵を切ったニコンは1959年に「F」を発売します。プロの使用に耐える堅牢性と完成度はその後の一眼レフ全盛の時代を切り開くものでした。1980年に発売された「F3」はジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたもので、プロ仕様はそのままに自動化技術をふんだんに盛り込み、世界中で愛されるカメラになりました。現在のニコンデジタル一眼のデザインはこの時代からの系譜と言えます。

世界中で愛された一眼レフ
Nikon F3,1980

 このように製品が持っている歴史も「意味」の一つです。カメラの場合は、やはりライカとの関係でポジションを取ることが無意識的に行われてきたように思います。「ライカを超える」「ライカのサブ」「ライカが目指していない一眼で勝負」ライカとの比較やライカとの相対的なポジショニングで自身のアイデンティティを規定していく。そんな伝統がカメラには無意識的にせよあるのではないでしょうか?このようなライカとの関係性というのも「意味」の一つです。だから、デジタル技術でカンブリア爆発を起こした後も、ライカ型のスタイリングに回帰しているのです。

 「本家ライカを超えた性能を持つCanonレンジファインダー」
 「ライカのサブカメラとして有名な写真家も愛用したオリンパスPen」
 「ライカが実現できなかったプロ仕様の一眼レフで世界の頂点を極めたニコンF3」

 このような前世代のフィルムカメラに込められた「意味」を受け継いでいるのが最近のデジタルカメラです。そんな意味を持つ一台を自分のモノにしたい。そういう思いが商品を選択するときに働きます。私達はモノを購入すると同時に物語(歴史)という意味、つまり情報を一緒に買っているのです。それはライカを知らない世代にも引き継がれることになります。歴史は新たに起点を変えて語り継がれるからです。

 「伝統のFシリーズの系譜を受け継ぐNikonのデジタル一眼」

 木の幹から枝別れし、さらに枝が伸びるように、幹のことは知らなくても、枝の部分から新たな物語が始まっているからです。でも、枝はやっぱり幹に繋がっているので、デザインは源流の影響を大きく受けることになります。

「テクノロジー」の陳腐化と新しい「意味」の創出

 そうすると、なかなか革新的なデザインは生まれないように思いますが、私はそれはそれで好ましいことのように思います。新たなテクノロジーが登場するたびに物語がリセットされてしまうより、小さな物語に自分も少しだけ参加し「意味」を持つ製品を所有する喜びを感じていたいと思うからです。そして、カメラのカンブリア爆発が早々に収束したように、世の中のテクノロジーの受け取り方も抑制的であるようです。最新テクノロジーは好きだけど、それだけでモノを選択しているのではないようです。やはり、多くの人が意味の重要性に軍配を上げているということではないでしょうか。最近のカメラデザインはそれを敏感に反映したものです。

 このようなデザインにおけるテクノロジーと意味との関係は、カメラだけでなくあらゆる製品について言えることです。
 腕時計の機能は正確な時刻を知らせるというものです。ところが1970年代に登場したクォーツ技術で、この課題は解決されてしまいます。クォーツになり低価格化が進み、デジタル式や電卓が付いたもの、コンピューターが付いたものなどが登場します。しかし、今では、デザインもベーシックなアナログ式に回帰しています。外見だけでは50年前の時計と区別をつけるのが難しいのではないでしょうか。それどころか、腕時計ではテクノロジーも原点に回帰していて、機械式の高級時計が復権しています。高級時計に大金を払うのは時間を知りたいからではなく、その時計やその時計を持つ意味(ステータス)に価値を見出しているからです。

 時刻を知る機能がスマートフォンに代替されたように、写真を撮るのもスマートフォンで十分という人も多くなっています。デジタルカメラの売上も年々減少しており、その傾向は明らかです。今後、カメラはどのようになっていくのでしょう?腕時計のようにテクノロジーも回帰してフィルムカメラが復権するのでしょうか。最新の電子技術と職人達の磨き抜かれた技術で作られたフィルムカメラ。往年のF3やライカのM7を超えるような一台が登場したら、カメラはもう一度新しい意味を持つかもしれません。

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日本の伝統色「和色」

 色の名前を最初に覚えたのはいつだったでしょう?子供の頃に使った絵具からという人も多いと思います。「ぺんてる12色絵具セット」に入っているのは、しろ、きいろ、レモンいろ、きみどり、ビリジアン、あお、あいいろ、あか、しゅいろ、ちゃいろ、おうどいろ、くろになります。
 仕事をするようになって「和色」という日本の伝統色があることを知りました。こちらのサイトには全部で930の伝統色が登録されています。「赤」系統だけでも100色は超えるのではないでしょうか。これらの色は昔から染織物や絵画、焼き物などで使われていたそうで、改めて日本人の繊細さに感心させられます。名前もとても趣のあるものです。「珊瑚色(さんごいろ)」「薄柿(うすがき)」「勿忘草色(わすれなぐさいろ)」「若葉色(わかばいろ)」など植物由来の名前や「藍鉄(あいてつ)」「砂色(すないろ)」「赤銅色(しゃくどういろ)」など鉱物由来のものもあります。「鴇色(ときいろ)」「象牙色(ぞうげいろ)」など動物からとったものや、「東雲色(しののめいろ)」「虹色(にじいろ)」などの気象現象もあります。
 当たり前かもしれませんが、和色の名前は自然から取られているものが多いことに気付きます。初夏の草木のやわらかい緑を「若葉色」、夜明け前の空の色は「東雲色(しののめいろ)」というわけです。改めて、古来から日本人の生活は自然と共にあったということが分かります。
 私の色名に関する語彙はぺんてるの12色を大きく上回るものではありません。昔の日本人が930色の名前を使い分けていたとしたら、それは、本当に尊敬に値することだと思います。「石竹色」と「薄紅梅」の違いを感じるだけではなく、違いに基づいてモノを作ったりコミュニケーションに使ったりできるというのはすごいことです。2つの似た色でも隣り合わせれば、大抵は違いが分かります。でも、それぞれに違う名前を付けるというのは、また、意味が変わってきます。その名前に基づいた創作やコミュニケーションが可能になるということだからです。

名前を付けるということ

 さて、それでは「名前を付ける」とはどういうことでしょうか?それは、何かと何かを区別して理解するということです。「石竹色」は「薄紅梅」とは異なるということを宣言するために「石竹色」と名付けられています。しかし「「石竹色」より少し赤味が強いけど「薄紅梅」ほどではない」という色も存在します。「石竹色」と「薄紅梅」の中間色です。その色には少なくても和色では名前が付いていないようです。「石竹色」と「薄紅梅」の間には理論的には無限の色が含まれているはずです。名前を付けられた色については認識されますが、この間にある無限の色については普段認識されることはありません。ごっそりと取り漏らしてしまっているということです。
 もちろん、12色に比べれば930の和色の方がきめ細かな認識が可能ですが、自然界をそのまま表現しているとは言えません。コンピューター上で色を表現する方法の一つであるRGBでは「石竹色」はR:229 G:171 B:190と表されます。RGBは赤、緑、青の各色を0~255の数字で表し様々な色を表現する方法です。16,777,216色を表現できるので、930色と比べても遥かに多くの色を扱うことができます。しかし、赤,緑,青の各色を0~1023の数字で表すことも可能で、その場合は1,073,741,824色が表現可能になり、現行のRGBで表現できている色もほんの一部ということになります。これにはキリがなく、どこまでいっても私達が色を識別して表現しようとすると、一部分を切り取ったものにしかならないということです。
 とはいうものの、名前がついているお蔭で人間は創作やコミュニケーションが可能になったのも事実です。和色の名前はもちろんRGBの数列も名前の一種になりますが、このような名前を付ける行為は抽象化の典型的な例になります。抽象化することでコミュニケーションが可能になりますが、モノそのものは表すことができなくなってしまうのです。このような一長一短が抽象化という行為には付きまといます。

世界は抽象化で出来ている?

 色の名前に限らず私達が使う言葉にはすべて同じ性質があります。言葉も現実の世界を抽象化したものです。「好き」と「嫌い」の間には様々な感情があるはずです。同じ「好き」でも様々、同じ「嫌い」でも様々でしょう。「正しい」と「間違い」もすべてがどちらかに分けられるようなものではありません。ところが、私達の言葉で表すと単純化されてしまい、その言葉で表現できることに沿って行動も規程されてしまいます。言葉にはそのような限界もありますが、一方で言葉がなければコミュニケーションは非常に限られたものになってしまいます。
 「赤いリンゴを3個買ってきて」
 「赤い」という言葉は多くの人に共有されています。おなじように「リンゴ」も「3個」も「買う」も 抽象化された概念で多くの人に共有されているためコミュニケーションが可能になります。言葉を使ったコミュニケーションが可能になったので、人類は社会を作り、今のように発展することができたのです。抽象化は人が人であるための根本的な能力と言えます。

 では、言葉を持たない動物にはこの世界はどのように見えているのでしょう?
 動物は色に名前を付けることはありません。もちろん、自分の感情を言葉で表現することもありません。彼らは抽象化の恩恵、つまり言葉でコミュニケーションするということができません。しかし、彼らの認識は抽象化することで単純化されたり、切り捨てられることもありません。言葉の無い世界に住む彼らの方がこの世界をありのままに、完璧に認識しているとも言えます。12色や930色どころではなく、自然の色をそのまま体験しているのかもしれません。そして、それは「色」についてだけではないのです。

猫には色が見えていないと言いますが...

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 スマートフォンは今世紀最大のイノベーションとも言われますが、それは何故でしょう?iPhoneは確かに革新的な製品でしたが、何が新しかったのでしょうか?何故、Apple社はこのような製品を生み出すことができたのでしょう?

iPhoneの意味

 WWWが発明されインターネットの爆発的な普及が始まったのが1989年です。iPhoneの初号機が発売されたのが2007年なので、この20年弱はパソコンがインターネットへのアクセス手段になっていたということになります。今では、キーボードを打てない(打たない)年齢層がインターネットユーザーの中心ですが、そんな時代が20年も続いていたのです。特にWindows95発売以降、パソコンは急速に普及しインターネットという「もう一つの世界」が着々と作りこまれていきました。
 それでも、パソコンはビジネス上の必要性から購入する人が多く、特に関心の薄い人にとっては、無くても全く困らないモノだったと思います。ところがiPhoneの登場によってこの状況は一変します。2007年、インターネットにはあらゆる情報が集まっていました。企業や公共機関のホームページ、個人のブログ、ニュース、音楽や動画などのコンテンツ、ネットショップに決済サービス...これら「もう一つの世界」にすべての人がアクセスすることができる道を開いたのがiPhoneでした。もう、LANケーブルと悪戦苦闘する必要はありません。「ABC順」でも「あいうえお順」でもないキーボードに迷うこともありません。

 改めて考えてみると、iPhoneは電話機ということになっています。昔の固定電話は家の壁から伸びた電話線に繋がっていて、話しながらメモ帳に手を伸ばすのも大変でした。そのうち、コードレス電話機が登場し、家の中なら受話器だけを持って移動できるようになりました。受話器に本体機能も合体して、そのまま外に出かけられるようになったのがPHSや携帯電話です。iPhoneはこのような電話機の進化系なのでしょうか?
 それはYESでありNOでもあります。
 サービスの利用者という観点では、電話の利用者と同じ、老若男女あらゆる人を対象にしており、ビジネスでもプライベートでも利用されます。しかし、機能的な意味は電話とは大きく異なります。iPhoneは個人間の通話が優れているのではなく、インターネットへのアクセスが「いつでも」「どこでも」「誰でも」行えるという意味で優れているのであり、電話の進化とは別の意味を持っています。
 このYESとNOを同時にやってのけたこと、つまり、電話の利用者層にコンピュータのテクノロジーを重ねそのままインターネットアクセスプラットフォームにしたことが今世紀最大のイノベーションと言われる所以なのです。これはもちろん、ユーザーインターフェースやアプリケーション、iTunesなどの実装面でも優れていたので実現できたことです。

iPhone誕生における市場と技術の構造

Apple社の蓄積

暫定ダイナブックのGUI 1978年(wikipediaより SUMIM.ST)

 ジョブスは創業当初の1979年にゼロックスのパロアルト研究所を訪れていて、そこで見たアラン・ケイのGUIに強い印象を持っていました。ケイの「あらゆる世代の子どもたちのためのパーソナルコンピューター」というダイナブックの発想はコンピューターの進む方向を鮮明に示しており、ジョブスも大きな影響を受けたのです。誰でも使えるコンピューターという哲学は1985年にジョブスが追放された後のApple社にも受け継がれることになります。
 Apple社と言えばMacですが、誰でも手軽に操作できる、PDA(Personal Digital Assistant)やタブレット端末にも古くからチャレンジしていました。いつもスポットライトを浴びるMacとは対照的にこちらは日陰の存在でした。おまけに失敗が続きます。
 1990年には『ジェネラルマジック』計画がスタートし、タッチパネルを搭載した情報端末が構想されます。しかし、WWW以前の技術に基づいたサービスは直ぐに時代遅れになり、2002年にはApple社の出資で設立されたジェネラルマジック社も倒産してしまいます。1993年にApple社はNewTonというPDAを発売しますが、後発のPalm Pilotの方が価格も安く軽快に動作したため、完敗してしまいます。

Apple Newton (wikipediaより Work by Rama)

 2003年にはジョブスの肝いりでもう一度タブレット端末の検討が始まります。「ガラス製のディスプレイ」「マルチタッチ」「ソフトウェアキーボード」という発想はタブレット端末のために生まれました。しかし、当時のプロセッサー性能では実現困難でこの計画も中止になります。ところが、このチームにいたジョナサン・アイブ(現ロイヤル・カレッジ・オブ・アート総長)は計画が中止になった後もマルチタッチスクリーンの開発を続けていました。
 この、PDAやタブレット端末での失敗の連続が、アナロジカルデザインにおける「ベース」の蓄積になったのです。ある領域について具体的に分析しこれを総合することで本質的な意味や目的を捉えることがベースの蓄積になりますが、アイブとApple社はタブレット端末の失敗を通じて「誰でも使えるコンピューター」の本質を、この時点でかなり掴んでいたのではないでしょうか。

携帯電話へのチャレンジ

左:iPod 第四世代モデル(wikipediaより User:PRiMENON)
右:Motorola ROKR (wikipediaより Matt Ray)

 同じ頃、2000年代初頭は携帯電話が成熟期を迎えていました。携帯電話を作っていたのはノキアやエリクソン、モトローラーといった通信機メーカーです。コンピューターメーカーであるApple社でも製品化したばかりのiPodをケータイ化する計画が立ち上がります。そもそも、iPodはウォークマンに触発されて作られました。しかし、ウォークマンを開発した日本ではケータイが独自の進化を遂げ、メールにWeb閲覧、カメラや決済機能、そして音楽再生の機能も備えるようになっていたのです。iPodでウォークマンを出し抜いたと思っていた矢先に、日本のケータイに足元をすくわれる可能性が出てきたのです。iPodを通信端末化して日本のケータイがガラパゴスのうちにとどめを指しておきたいと考えるのは自然なことです。
 早速、巨人モトローラー社と組んでiTunes Playerを搭載した携帯電話を開発しました。しかし、この「ROKR」というケータイはiPodの洗練されたスタイリングとは全く異なり、10キーが並ぶ無骨なデザインでした。楽曲も100曲しか入らないなど、仕様も中途半端で全く売れませんでした。

 携帯電話のメーカーと組んでも革新的な製品はできない。そう思ったジョブスは周囲の説得もあり、ようやく自社で本格的に携帯電話を開発する決意を固めます。iPodのホイールスクロールで電話を作るのが最初の構想でした。この辺りがアナロジカルデザインにおけるターゲットの具体化と抽象化にあたるのではないでしょうか。携帯電話というターゲットに照準をさだめ、モトローラーとの協業などを通じて本質的な意味を探っていくプロセスです。
 「通信機メーカーと組んでもダメだ。彼らとではイノベーションは起こせない」
 「iPodのホイールスクロールは音楽再生には最適だが携帯電話にはいまいちだ」
 ビジネス面やユーザーインターフェースなど様々な領域で試行錯誤を行い、まだ、誰も気づいていない携帯電話の問題を発見する活動です。

パソコンから借りてくる?

 ジョナサン・アイブは2003年に立ち消えとなったマルチタッチスクリーンの開発をあきらめきれず、密かに研究を続けていました。このマルチタッチスクリーンを今度はパソコンであるMacのディスプレイにする計画でした。
 2006年のある時、アイブは二人だけでジョブスに会い、このMac用のディスプレイを見せました。今ではお馴染みになったピンチやスワイプ、慣性スクロールで自由に操作される様子を見ていたジョブスに閃いたアイデアは、その後の世界を変えるものでした。その場でiPodケータイの開発責任者に電話をかけ、アイブの作ったMac用のディスプレイでスマートフォンを作ることを命じたのです。このときこそ、今世紀最大のイノベーションが決定的になった瞬間でした。
 これがアナロジカルデザインにおけるマッチングに相当します。ベースとの違いからターゲットである携帯電話の問題を発見したのです。今までの携帯電話に欠けていた点とは、、、、そう「マルチタッチスクリーンが付いていない」ということです。そんな簡単なことに何故気づかないんだ?と思うかもしれません。タブレット端末でタッチスクリーンを開発していれば、携帯電話に応用するなんて誰でも発想できるだろう!けれども、それは、私達がiPhone以降のスマートフォンを知っているからです。
 電話機をイメージして思い浮かぶのは0から9までの数字です。ダイヤル式の時代もボタン式になってからも変わらずこの数字がありました。これで電話番号を入力することで相手と通話できる。当たり前で誰でも知っていることです。しかし、この電話番号というのがくせ者です。電話番号というのは強力な抽象化概念で、0~9の数字の組み合わせで世界中の人間と繋がることが可能なのです。この強力な概念は電話機のデザインはもとよりサービスの枠組みまでも規程していたのではないでしょうか。これを打ち破ったのはアナロジー思考だったのだと思います。携帯電話に求められていたのは、簡単で快適で合理的なユーザーインターフェースです。アイブの作ったパソコン用のユーザーインターフェースも同じ目的で作られていました。この目的レベルの類似性に気付くことで、パソコンの技術を「借りてくる」ことができ、電話機の強力なイメージを打ち破ることが出来たのです。

既にあるものからの創造

 ユーザーインターフェースが変わることで何が起きたのでしょう?もともとMac用に開発されたユーザーインターフェースなので、iPhoneではパソコンと同じことができるようになりました。これは期せずして携帯電話のユーザーがパソコンのユーザーになったということです。もし、Mac用のユーザーインターフェースではなく他のものだったら、例えば、ホイールスクロール形式が採用されていたら、スマートフォンは全く別のものになっていたでしょう。ユーザーインターフェースが変わることで、携帯電話はパソコンそのものになり、インターネットへのアクセスプラットフォームという新しい意味を持つことになったのです。
 ここで重要なのは、何か新しい製品を生み出したわけではないというです。iPhoneが変えたのは既に存在する携帯電話のユーザーインターフェースでした。
 これは、冒頭にお話しした「電話の利用者をそのままインターネットの利用者にした」ということになります。顧客はそのままに、別のサービスに移行させ、そのサービスにおけるビジネスを成立させてしまう。そこにiPhoneの凄みがあるのです。そのことに自覚的だったからこそiPhoneというネーミングになったのではないでしょうか。
 これには、まったく新しい観点から発想するアナロジー思考が大きな役割を担っています。電話機を電話機の延長として考え抜いても、利用者を別の世界に導くことはできません。アナロジー思考とそれを貫く勇気があったからこそ、ジョブスとApple社は既存のケータイ利用者をそのままもう一つの世界に連れ出すことに成功し、イノベーションを実現できたのです。


演習問題

(1)iPhoneのように既存の市場や利用者はそのままに、別の領域から技術要素などを適用した例は他にどのようなものがあるでしょう?

(2)今後、既存の市場や利用者はそのままに、別の領域から技術要素などを適用することで、新しい価値を持ち成長が見込める領域にはどのようなものがあるでしょう?

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 以前から漠然と「ラジオは無くならないのでは」と思っていました。テレビが衰退し、インターネットが更に進化しても、ラジオは聴かれ続けるように感じます。皆さんはどう思いますか?

ラジオ文化の定着

 初めてのラジオ放送は1906年の12月24日、クリスマスイブのことだったそうです。米国マサチューセッツ州の無線局からレジナルド・フェッセンデンが自分で演奏したクリスマスソングを放送しました。
 それからあっという間に世界中に広がったラジオネットワークは、事件を伝え、文化を作り、政治に利用されました。戦後は更に普及し、家庭にはその時代の最新技術と流行のデザインで作られた受信機が置かれました。

Philips Philetta

BRAUN TS3
BRAUN RT20

 写真は1950年代終わりころから、1960年代の初めにかけてヨーロッパで発売されたラジオです。ほんの数年ですが、この間でもデザインは大きく変化しています。
 ラジオがまだまだ高級品で「持つこと」に価値があり満足感につながった時代。一番古いPhilips Philettaはそんな頃のラジオの形を伝えています。シンメトリーで装飾的、リビングの一番目立つところで家族に囲まれているのが似合いそうです。しかし、モダンデザインの伝統があったドイツではすぐに直線的なデザインが取り入れられます。 BRAUN TS3では装飾性は極力排除されています。しかし、ダイヤルの配置などはまだ伝統的なスタイルを踏襲しています。 BRAUN RT20 になると、もはやシンメトリーではなくなり、木材や布が中心だったフロント部分も金属で覆われています。白一色で主張しないデザインはインテリアとしても目立つことはなかったでしょう。

 このようなデザインの変化は「ラジオを聴く」という文化が急速に変化したために起こったのではないでしょうか。もちろん、この時代でも「ラジオは聴くもの」だったのでしょうが、それに加えて、いいラジオを所有すること自体が楽しく誇らしいという人も多かったはずです。そういう人たちには、豪華で象徴的なデザインが好まれたのは理解できます。
 しかし、やはりラジオは聴くものなので、放送されている内容が重要です。流れてくる音楽やドラマやニュースがやはり肝心なのです。そうすると、生活の中でラジオの「受信機」が主役である必要は無くなってきます。生活の舞台であるインテリアに良く馴染み、操作が分かりやすく簡単であることが重要です。
 そんな意識の変化は外観のデザインにも反映されてきます。装飾を排除し、操作もシンプルにという「引き算のデザイン」が行われていきます。この「引き算のデザイン」はメディアとしてのラジオを浮かび上がらせます。「ラジオを聴くってそもそもどういうことなのか?」ということをもう一度考えるよう促されます。豪華な受信機を置くのが一番の目的ではなく、「ラジオではあのアーティストの音楽が聴ける」「ラジオを聴きながら家族と食事をする時間は最高だ」「ラジオで聴いた株を買って儲けることができた」だからラジオが必要なんだ、という理解が深まっていったのです。
 それは「サービス」としての「ラジオ」が本当の意味で定着していくということです。

引き算のデザイン

 「引き算のデザイン」はモノやサービスの本当の意味を浮かび上がらせます。ラジオをサービスとしてとらえたとき、それは今までにはない、革命的なサービスでした。国中の人に、時には国も越えて多くの人に、同時に同じ情報を伝えることができるようになったのです。
 ほどなくして、テレビが発明され映像も対象になりました。ラジオ局ではテレビ放送も行うようになります。そして、ラジオともテレビとも縁のないところでコンピューターが生まれます。コンピューターは相互に接続を始め、あっと言う間にインターネットが世界を覆いました。インターネットでは情報が双方向に流れます。個人対個人、企業対個人、企業対企業...複雑で大規模であらゆる産業が関連しており、全体を見通すことは、もはや困難です。
 そんな現代のメディアの本質も「引き算」することで見えてくるのでしょうか?

 もしかするとラジオはそんなメディアを「引き算」した究極の姿なのかもしれません。いくら技術が進んで形態が異なっても、メディアはどこか「ラジオ的」なものを残しているのではないでしょうか。

 1906年、夜空に放たれた電波は多くのアマチュア無線家たちに受け取られました。彼らは手製の受信機を念入りに組み立て、雑音の向こうから聞こえるクリスマスソングに耳を澄ませていました。日本のラジオ草創期にもアマチュア無線少年たちが大きな役割を果たします。組み立て式のラジオを作った彼らが最初の聴取者だったのです。そして、その部品は秋葉原の電気街で調達されました。
 電気街の発展はラジオの普及とともにありましたが、その後、秋葉原の主役はパソコン少年がとって代わります。もちろん、インターネットの扉をこじ開けたのはこのパソコン少年たちです。

 戦前から戦後にかけて手製のラジオを組み立てていたアマチュア無線家と1980年代に現れたパソコン少年たちは何でつながっているのでしょう?それぞれの時代での最新技術を駆使していることの満足感、機械部品やモノづくりへの嗜好というものもあります。しかし本質は、おそらく内向的であった彼らの、距離を超えて見知らぬ他者とコミュニケートしたいという欲望を満足させるのが、ラジオでありインターネットだったのではないでしょうか。
 肥大化し社会の様々なものを飲み込んで進化を続けるインターネットも「引き算」すると、見知らぬ他者とコミュニケートしたいというピュアな思いが本質にあるのかもしれません。Facebook、Instagram、Twitter...どれも見知らぬ他者とのコミュニケーションを実現するものです。そんなメディアの原型を最も忠実に残しているのはラジオということになります。だから「ラジオは無くならない」そんなふうに思うのかもしません。

 「引き算のデザイン」は製品の外観だけでなく、サービスの本質も思い出させてくれます。