エスカレーターの「片側空け」と資本主義

2023年1月29日

習慣を変えることの難しさ

NHK LIFE CHATより転載

 以前、東京駅のエスカレーター周辺に「立ち止まろう」という大きな横断幕やポスターが至る所に掲示されていた時期がありました。東京の場合は右側を空ける習慣なので、私も左に寄って乗りますが、このポスターを見ても右側に立つ気にはなりませんでした。
 ポスターを見れば「そういうキャンペーンをやってるんだ」ということは分かりますが、目に入らなかった人は昨日までと同じように右側を駆け抜けようとします。右側を塞いでいると、ぶつかられたり、トラブルになるのは必至のように感じました。
 一週間ほど後に同じところを通ったらポスターは一枚も無くなっており、今までと同じように「片側空け」が継続していました。

 エスカレーターの「片側空け」は1944年頃にロンドンの地下鉄駅で始まったと言われています。日本では1967年に大阪・阪急梅田駅で初めて右側に立ち、左側を空けるようアナウンスされたそうです。実際に一般化したのは1980年代の終わりで、この頃から東京でも自然発生的に広がることになります。
 しかし、最近では「片側空け」を止めるように呼びかける駅や自治体が増えています。事故の危険があることに加え、輸送効率の面でも二列で並んだ方が有利なためです。また、もともとエスカレーターは二列で乗ることを前提に作られているので、片側だけに乗り続けると、一方だけに負荷がかかり故障の原因になるそうです。
 「片側空け」を止めれば、事故の危険が減り、輸送効率が上がり、メンテナンスコストも削減できるのだから、良ことだらけのように感じます。それでも「片側空け」は無くなりません。何故でしょう?

「個人」と「組織」

 それには「個人」と「組織」という観点がヒントになるかもしれません。事故の危険が減って一番嬉しいのは設置している企業などでしょう。事故が起これば運行は停止され、企業側の責任となれば賠償請求のリスクもあります。数字で見れば、エスカレーターの事故は年間1500件程度で、交通事故の年間40万件とは比べものになりません。もちろん、それで良いという事ではありませんが、個々の利用者が「自分がエスカレーター事故に遭うかもしれない」という危機意識を持つようなレベルではありません。
 輸送効率も単位時間当たりにどれだけ運べるかという利用者全体を考えた場合のことです。鉄道駅のラッシュ時間帯などに利用者をさばくには二列乗りが効率的ということです。
 個人としてエスカレーターを利用するときは急いでいるときもあればそうでないときもあります。とても急いでいるときに、一本でも早い電車に乗りたいと思うのは自然なことです。メンテナンスコストも当然、所有者である企業などの関心事です。メンテナンスコストが削減されれば、利用者に還元されるという理屈はあるのでしょうが、二列乗りにしたから鉄道の運賃が下がるということは現実的にはあり得ないでしょう。
 このように企業などの「組織」においては「片側空け」を止めることで様々なメリットがありますが、利用者である「個人」にはほとんどそのようなメリットはなく、逆に急いでいるときに待たされるというデメリットが生じてしまいます。

資本主義との相似形

 実際、個人にとって「片側空け」は良くできたルールで、急いでいる時は空いている方を通って駆け抜ければ良いし、急いでいないときは立ち止まっている側に並べば良いのです。自分の状況に応じて選択できます。
 「急いでいる」というのは、その先にある利益を得たい、或いは、損失を最小にしたい場合の行動です。待ち合わせている恋人と早く会うために急いだり、遅刻して上司の心証が悪くならないように急いだりします。個人にとっての利益を最大化し損失を最小化するために急ぐのです。
 しかし、人はいつも急いでいるわけではありません。その先に利益も無ければ損失を被るリスクもないという場合、無駄に体力を使うことはしません。そんなときはゆっくりと時間を使って移動することが、個人にとって利益なのです。
 急いでいる人はそのように行動して利益を最大化すればよく、そうでない人もそのように行動すれば良いというのは、そのまま資本主義の行動様式でもあります。資本主義は個人が自由に資本を持つことを原則とし、個人が自分の最善の利益を追求する傾向を前提に運用される政治・経済システムです。
 多くの利益を追求したい人はそうするし、それほどでもない人はそういう人生を選択することもできます。もちろん、利益を求めてもそれを得られる保証はありませんが、それは、エスカレーターを駆け下りて電車に乗っても、恋人が待っているとは限らないことと相似形です。

 エスカレーターで立ち止まっていると、急いで駆け降りる(上がる)人にぶつかられてケガすることもあります。そのようなリスクには目を塞いで、よくできたルールを受け入れているのがエスカレーターの「片側空け」ということになります。
 これは、資本主義システムにもそのまま当てはまり、他人の利益追求の巻き添えを喰って、損失を被るリスクは絶えず存在します。リーマンショックのような金融危機や企業活動にともなう環境破壊の影響で人生が変わるほどの損失を被った人は世界中にいます。世界規模でなくても、過剰なノルマを課せられ、仕事に追われ健康を害する人は日本でも後をたちません。企業の利益追求が非正規雇用の増大やパートの雇止めに繋がっているのは明らかです。
 エスカレーターの「片側空け」と同じように資本主義の良くできたルールを受け入れて、このようなリスクには目を塞いでいるというのが現状なのです。しかし、そんな資本主義も限界が言われています。行き過ぎた資本主義による損失が無視できないレベルになってきているためです。

社会の価値観で決まる「良いデザイン」

 資本主義の基ではエスカレーターの「片側空け」はなくらならいと思います。それは、私達が良いルールと信じて疑わない資本主義とあまりにもマッチしているからです。個人の利益追求を前提としながら、行動においては個人の自由意思にゆだねるというシステムが持つ価値観は強力です。
 資本主義の価値観や道徳、許容されるべきリスクと、エスカレーターの「片側空け」のそれとは、ピタリと一致します。「片側空け」というと些細な問題のようですが、多分、これををやめるには資本主義自体が根本的に変化していく必要があるのではないでしょうか。

 さて、世界的な経済システムの行く末は専門家に任せるとして、エスカレーターのデザインを考えてみましょう。
「片側空け」については「個人」と「組織」の利益が一致していないことがポイントでした。急いでいる個人の行動を制限せず、事故や故障のリスクを減らし、全体としての輸送量を増大させるにはどのようなデザインが考えられるでしょう?
 「片側空け」はエスカレーターを空間的に分割して急いでいる人と急いでいない人が共に利用する方法でした。一つにはこの分割を時間的に行うことが考えられます。ラッシュ時間は「二列並び」でそれ以外は「片側空け」という訳です。しかし、ラッシュ時間ほど急ぎたい人が多いでしょうから、個人にとってこの方法は魅力的ではありません。反対にラッシュ時間を「片側空け」としても、今度は組織にとってメリットが見出せません。
 やはり、エスカレーターが設置されている社会そのものの価値観を変えていく必要があるのでしょうか?
 「今月は9月だから資本主義だね」
 経済システムをタイムスライス方式にして、それに合わせてエスカレーターの運用を変えるという妄想が浮かびましたが...この辺にしておいた方がよさそうです(笑)

書籍案内


このサイトが本になりました。
全国書店、Amazon、楽天ブックスなどで販売中。
(\1,540税込)

最新ブログ

チバ・シティ・ブルース(千葉市憂愁)

チバ・シティの40年  SF作家のウィリアム・ギブスンは1980年代に初めて「サ ...

「AIとは何か?」を考えるときの考え方

AIは「アニメと同じだろう」とザックリ考えた  ChatGPTの登場でますます注 ...

エスカレーターの「片側空け」と資本主義

習慣を変えることの難しさ NHK LIFE CHATより転載  以前、東京駅のエ ...

「速い」とは何なのか?

大阪万博(1970)で展示された国鉄のリニアモーターカーの模型を描いたシャールジ ...

モダニズムから考える『真夜中のドア〜stay with me』のリバイバル

 1979年に発売された松原みき『真夜中のドア〜stay with me』がSp ...

未分類

Posted by adesign