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AIは「アニメと同じだろう」とザックリ考えた

 ChatGPTの登場でますます注目を集めているAIについて、様々な人が期待や不安について語っています。世界を変えてしまうほどのインパクトをもった革新的な技術であるというのは多くの人の一致するところですが、人間を超える能力を持ったAIに支配されてしまうのではないかという懸念がある一方、知的労働からも解放された人間はよりクリエイティブなことに携われるようになるいう楽観論もあります。
 先日、アニメなどのオタク文化についての著作もある批評家がAIについてコメントしてました。AIが教師となって人に教える場面を想定して「相手が人間か否か」がやはり重要なのではないか?というものです。つまりAIは人間ではないので人間の教師に教えられた場合とでは、やはり何か違うのではないか?というものです。
 これを聞いて、私は直ぐにアニメーションのことを思いました。アニメーションはセルロイドにインク(今は電子データでしょうが)で着色したスライドを連続投影することでストーリーを生成するものです。人間が演じるストーリーではなく、セルロイドとインクが演じるストーリーに私達は感動し多くを学んでいます。人生が変わってしまうほどの影響を受けた人もたくさんいるでしょう。
 つまり、感動や学習には人間が伝えるか否かは関係ないのでは?という思いが浮かんだのです。そして、AIはアニメーションのようなメディアと同じなのではないかとも思いました。メディアというとテレビや新聞やラジオなどが思いつきますが、情報をユーザーに伝えるための手段のことなので、書籍や映画もメディアの一種です。アニメーションも創作する人がいて、創作者が伝えたい情報を伝えるための手段です。

 「アニメーションはAIとは違って創作する人、人間が関わっているじゃないか!」
 という指摘があるかもしれません。しかし、いま世間で話題になっているChatGPTには情報ソースがあって、それはインターネット上の情報です。インターネットの情報は人間が創作したものです。なのでChatGPTは人間が創作した情報を基に加工・変換してユーザーに届けるメディアと考えることもでき、アニメーションと同じようにも感じます。
 そうすると、AIもテレビやラジオや映画と同じように情報を変換・加工してユーザーに伝える機能なので、何も恐れることはなく、私達が経験してきた新しいメディアの登場という歴史の繰り返しとも考えられます。
 さらに、この考えを進めると「言葉」もメディアの一種であることに気付きます。10万年ほど前の人類は自分の感情や周りの状況を言葉として相手に伝えることを始めました。「言葉」こそはメディアの原型であり、現在のあらゆるメディアの基盤になっているものです。
 そう、私達が慣れ親しんでいる「言葉」と「AI」はメディアという点では同じものなのです。どちらも情報を加工・変換して相手に伝える機能を持っているからです。

 このように考えてくると、AIはメディアの一種なので、言葉と同じで、その発展形である新聞やラジオやテレビと同類のものだから、それとおなじように受入れればいいじゃないか。という結論になってきます。

その「考え方」で本当にいいのか?

 さて、本当にそれで良いのでしょうか
 ここまでの推論は多分正しいものです。しかし、この考え方には、結局は私達は「言葉」でしか世界を理解できないし表現できないのだから、その発展形としてAIが登場したことによって世界がどのように変容しようが、それを「真実」として、あるいは「正しい事」として受け入るしかない。というニヒリスティックな結論しかないようにも感じます。つまり、思考停止になるのです。AIの本質(らしきもの)を捉えても、それだけでは、思考停止に陥ってしまうのです。
 このような考え方は、どんなに優れて的を射たものでも、アクションに繋がりません。
 では、どうすれば、良いか?
 一つの方法としてはAIという新しいメディアと既存のメディアとの「違い」を詳細に検証することでしょう。冒頭で批評家の発言の上げ足を取って「アニメもAIも同じじゃないか!」ということを書きましたが、アニメとAIの違いを見つめることこそが多分とても重要なのです。
 アニメの製作にはたくさんの人が関わりますが、伝える価値観やストーリーは多くの場合、監督という立場にある一人の人が決定的な役割を担います。一方、AIは様々なソースから情報を入手しており、変換・加工する場合は利用者に最適化されるものです。つまりAI自体に伝えたい情報の価値観や優先順位があるわけではなく、AIが推察する利用者の嗜好に応える(忖度?)かたちで提供されます。
 AIの発する情報はアニメのように何等かの価値観を持った人間が提供しているのではなく、複数の無名の人間が発した情報から生成されいて、それは受け取る利用者に向けて最適化されている、つまり、この場合の「監督」は利用者自身であって、「製作スタッフ」はインターネットに情報を流し続ける世界中の人々とAIそのものであるということです。アニメでは「監督」→「観客」という構造ですが、AIでは「監督」と「観客」が同じ人であるような奇妙な構造になっているのです。
 冒頭の教師がAIだった場合に置き換えると、人間の教師は生徒の理解を促すために努力するでしょうが、必ずしも生徒に最適化されようとは思っていません。生徒の質問に答えないこともあるでしょうし、生徒の望みと関係なく自分の教えたいことを優先して教えることもあるでしょう。AI教師はそのような構造にはなっておらず、ここでも「教師」≒「生徒」のような奇妙な構造が生まれるのです。

 では「事実」を伝えるという点ではどうでしょう?
 伝統的に「事実」を伝えてきたのは新聞ですが、新聞との比較でAIを考えてみます。AIの「フェイク」がよく問題になっていますが、新聞にも誤報はたくさんあり、すべてが事実とは限りません。また、高級紙と言われる新聞は「事実」が前提ということでしょうか、いわゆるスポーツ紙などは、そのことに大きな拘りは持っていないようです。読者を楽しませる記事が中心で、読者も全てが事実とは思っていません。
 新聞では「事実」らしさのレベルはグラデーションになっていて、読者がそれを判断してどの新聞を読むか選択しているようです。一方、AIの方はそんなことにはなっておらず、「AIなんだから事実なんだろ」という前提で接している人が多いのでないでしょうか。なのでAIの発する情報が誤っていると、現在の利用者には大きな問題だと受け取られてしまいます。
 新聞の読者は新聞が発する情報が事実か否かは、新聞の種類によっても記事によっても、その時々で変わることを理解していますが、AIの利用者はそんな「免疫」は持っておらず、現時点ではかなり純粋にAIの発する情報に接しているようです。AIにおいてはユーザーの鍛えられ方(練度)が足りていないようです。

 さて、ここまで「AIはメディアの一種」だろうという観点から、同じメディアであるアニメと新聞との違いについて考えてみました。このように考えるとAIについてどのような脅威があるのか?或いは、ないのか?が朧げに見えてくるのではないでしょうか。

 このように考えることで、やっと対策について意見を持ったり、他の人の意見を聞く準備ができます。
 ここでは「AI」というお題を「メディアの一種」という括りで捉え、メディアの一種である「アニメ」や「新聞」との差異から考えました。最初のお題が「AI」である必要はありません。「少子化」でも「地球温暖化」でも同じです。また、「AI」を「メディアの一種」と括るのも必須ではありません。「情報技術」と括ることもできるでしょうし「脳機能」の一形態と括ることもできるでしょう。
 でも、考えるときの考え方は基本的に一緒になるはずです。大事なのは、誰かの発言の上げ足を取って終わるのではなく、その先に考えを進めることなのです。

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習慣を変えることの難しさ

NHK LIFE CHATより転載

 以前、東京駅のエスカレーター周辺に「立ち止まろう」という大きな横断幕やポスターが至る所に掲示されていた時期がありました。東京の場合は右側を空ける習慣なので、私も左に寄って乗りますが、このポスターを見ても右側に立つ気にはなりませんでした。
 ポスターを見れば「そういうキャンペーンをやってるんだ」ということは分かりますが、目に入らなかった人は昨日までと同じように右側を駆け抜けようとします。右側を塞いでいると、ぶつかられたり、トラブルになるのは必至のように感じました。
 一週間ほど後に同じところを通ったらポスターは一枚も無くなっており、今までと同じように「片側空け」が継続していました。

 エスカレーターの「片側空け」は1944年頃にロンドンの地下鉄駅で始まったと言われています。日本では1967年に大阪・阪急梅田駅で初めて右側に立ち、左側を空けるようアナウンスされたそうです。実際に一般化したのは1980年代の終わりで、この頃から東京でも自然発生的に広がることになります。
 しかし、最近では「片側空け」を止めるように呼びかける駅や自治体が増えています。事故の危険があることに加え、輸送効率の面でも二列で並んだ方が有利なためです。また、もともとエスカレーターは二列で乗ることを前提に作られているので、片側だけに乗り続けると、一方だけに負荷がかかり故障の原因になるそうです。
 「片側空け」を止めれば、事故の危険が減り、輸送効率が上がり、メンテナンスコストも削減できるのだから、良ことだらけのように感じます。それでも「片側空け」は無くなりません。何故でしょう?

「個人」と「組織」

 それには「個人」と「組織」という観点がヒントになるかもしれません。事故の危険が減って一番嬉しいのは設置している企業などでしょう。事故が起これば運行は停止され、企業側の責任となれば賠償請求のリスクもあります。数字で見れば、エスカレーターの事故は年間1500件程度で、交通事故の年間40万件とは比べものになりません。もちろん、それで良いという事ではありませんが、個々の利用者が「自分がエスカレーター事故に遭うかもしれない」という危機意識を持つようなレベルではありません。
 輸送効率も単位時間当たりにどれだけ運べるかという利用者全体を考えた場合のことです。鉄道駅のラッシュ時間帯などに利用者をさばくには二列乗りが効率的ということです。
 個人としてエスカレーターを利用するときは急いでいるときもあればそうでないときもあります。とても急いでいるときに、一本でも早い電車に乗りたいと思うのは自然なことです。メンテナンスコストも当然、所有者である企業などの関心事です。メンテナンスコストが削減されれば、利用者に還元されるという理屈はあるのでしょうが、二列乗りにしたから鉄道の運賃が下がるということは現実的にはあり得ないでしょう。
 このように企業などの「組織」においては「片側空け」を止めることで様々なメリットがありますが、利用者である「個人」にはほとんどそのようなメリットはなく、逆に急いでいるときに待たされるというデメリットが生じてしまいます。

資本主義との相似形

 実際、個人にとって「片側空け」は良くできたルールで、急いでいる時は空いている方を通って駆け抜ければ良いし、急いでいないときは立ち止まっている側に並べば良いのです。自分の状況に応じて選択できます。
 「急いでいる」というのは、その先にある利益を得たい、或いは、損失を最小にしたい場合の行動です。待ち合わせている恋人と早く会うために急いだり、遅刻して上司の心証が悪くならないように急いだりします。個人にとっての利益を最大化し損失を最小化するために急ぐのです。
 しかし、人はいつも急いでいるわけではありません。その先に利益も無ければ損失を被るリスクもないという場合、無駄に体力を使うことはしません。そんなときはゆっくりと時間を使って移動することが、個人にとって利益なのです。
 急いでいる人はそのように行動して利益を最大化すればよく、そうでない人もそのように行動すれば良いというのは、そのまま資本主義の行動様式でもあります。資本主義は個人が自由に資本を持つことを原則とし、個人が自分の最善の利益を追求する傾向を前提に運用される政治・経済システムです。
 多くの利益を追求したい人はそうするし、それほどでもない人はそういう人生を選択することもできます。もちろん、利益を求めてもそれを得られる保証はありませんが、それは、エスカレーターを駆け下りて電車に乗っても、恋人が待っているとは限らないことと相似形です。

 エスカレーターで立ち止まっていると、急いで駆け降りる(上がる)人にぶつかられてケガすることもあります。そのようなリスクには目を塞いで、よくできたルールを受け入れているのがエスカレーターの「片側空け」ということになります。
 これは、資本主義システムにもそのまま当てはまり、他人の利益追求の巻き添えを喰って、損失を被るリスクは絶えず存在します。リーマンショックのような金融危機や企業活動にともなう環境破壊の影響で人生が変わるほどの損失を被った人は世界中にいます。世界規模でなくても、過剰なノルマを課せられ、仕事に追われ健康を害する人は日本でも後をたちません。企業の利益追求が非正規雇用の増大やパートの雇止めに繋がっているのは明らかです。
 エスカレーターの「片側空け」と同じように資本主義の良くできたルールを受け入れて、このようなリスクには目を塞いでいるというのが現状なのです。しかし、そんな資本主義も限界が言われています。行き過ぎた資本主義による損失が無視できないレベルになってきているためです。

社会の価値観で決まる「良いデザイン」

 資本主義の基ではエスカレーターの「片側空け」はなくらならいと思います。それは、私達が良いルールと信じて疑わない資本主義とあまりにもマッチしているからです。個人の利益追求を前提としながら、行動においては個人の自由意思にゆだねるというシステムが持つ価値観は強力です。
 資本主義の価値観や道徳、許容されるべきリスクと、エスカレーターの「片側空け」のそれとは、ピタリと一致します。「片側空け」というと些細な問題のようですが、多分、これををやめるには資本主義自体が根本的に変化していく必要があるのではないでしょうか。

 さて、世界的な経済システムの行く末は専門家に任せるとして、エスカレーターのデザインを考えてみましょう。
「片側空け」については「個人」と「組織」の利益が一致していないことがポイントでした。急いでいる個人の行動を制限せず、事故や故障のリスクを減らし、全体としての輸送量を増大させるにはどのようなデザインが考えられるでしょう?
 「片側空け」はエスカレーターを空間的に分割して急いでいる人と急いでいない人が共に利用する方法でした。一つにはこの分割を時間的に行うことが考えられます。ラッシュ時間は「二列並び」でそれ以外は「片側空け」という訳です。しかし、ラッシュ時間ほど急ぎたい人が多いでしょうから、個人にとってこの方法は魅力的ではありません。反対にラッシュ時間を「片側空け」としても、今度は組織にとってメリットが見出せません。
 やはり、エスカレーターが設置されている社会そのものの価値観を変えていく必要があるのでしょうか?
 「今月は9月だから資本主義だね」
 経済システムをタイムスライス方式にして、それに合わせてエスカレーターの運用を変えるという妄想が浮かびましたが...この辺にしておいた方がよさそうです(笑)

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大阪万博(1970)で展示された国鉄のリニアモーターカーの模型を描いたシャールジャの切手
UAE Post (Sharjah), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

リニアモーターカー不要論

 私が小学生の頃、担任の先生がレールの上を浮かんで走る未来の鉄道について熱心に話してくれたことを覚えています。丁度、その頃、1972年に鉄道技術研究所では初めてリニアモーターカーの浮上試験に成功していました。それから50年経った2022年の現在は、5年後に迫った営業運行を目指して半世紀越しのプロジェクトがいよいよ大詰めを迎えています。
 しかし、最近になってリニアモーターカーは不要だとか「出来ても乗らない」という声を聞くことがあります。完成すれば東京ー名古屋間が40分、東京ー新大阪間が67分で運行されるので、確かに「速い」列車です。しかし、時代は確実に変化していて、50年前の先生と生徒が共に夢見た未来では、皮肉なことに「不要論」の波が押し寄せているようです。
 50年と言えば、変化するのも当然で、私が小学生だった1972年から遡ること50年前の1922年というのは、日本で初めて電気洗濯機が発売された年です。今の価格にして150万円以上と庶民には手が届かない高級品でした。イタリアではムッソリーニが首相になり、ソ連が成立したのもこの年です。日本ではラジオ放送も始まっておらず、太平洋戦争よりも、日中戦争よりもずっと前の時代です。
 それから50年でリニアモーターカーの浮上試験が成功したのだから、世の中は全く変わってしまったようにも思えます。なので、1972年から50年後の2022年に「不要論」が出てくるのも、致し方ない時代の変化なのかもしれません。

1972年を起点にした50年前と50年後

「速い」ことは良い事?

 さて、この時代の変化とは実際、どのようなものでしょう?特に「速い」ということに関する私達の認識はどのように変わってきたのでしょう?
 私達は「速い」ということは何となく「良い」ことだと思っています。リニアモーターカーは新幹線よりも速いので多くの人が求めたのでしょう。オリンピック、特に陸上競技は「速さ」を競うものがほとんどです。0.01秒の違いが選手の人生や国の名誉まで左右する重大事になっています。「仕事が速い」というのは間違いなく誉め言葉です。反対に「仕事が遅い」というのは否定的に使われる悪口です。

 日本で初めて洗濯機が発売された1922年、イタリアでは未来派が席巻していました。未来派宣言では「機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮する自動車は、《サモトラケのニケ》よりも美しい」と速度の美が礼賛され、絵画や彫刻、音楽など様々な方法でスピードが表現されました。
 彼らは、それまで美しいと思われていなかった機械や都市などの人工物に美しさを発見します。そして人工物が作り出す「速さ」のなかにも美を見出したのです。それは理屈に囚われないものでした。
 しかし、未来派はこのシンプルな感情を政治と関連させることで混乱し失速してしまいます。

 ところで「速い」と同じ読みで「早い」という言葉があります。「速い」は一定の時間の中で多くの動作が行われることですが「早い」はある基準の時間よりも前の時点でものごとが行われることです。この「速い」と「早い」は関係していて、例えば、リニアモーターカーは「速い」ので「早く名古屋に到着する」ことができます。「仕事が速い」と「早く仕事を終わらせる」ことができます。上司への報告や顧客への納品も「早く」済ませることができるのです。
 「速い」というプロセスは「早い」という結果を生むことになっており、これは効率に関係していそうです。一年で100万円稼ぐより一日で100万円稼ぐほうが「良い」のは経済原理がそうなっているからで、「早く」稼ぐためには仕事も「速い」ことが求められます。
 未来派は「速い」だけの美を標榜しました。「早い」ことに興味は無かったと思います。しかし、戦後、世界中を資本主義が覆うなかで「速い」は「早い」と結び付き、いっそう人々を惹きつけることになったのです。

未来派による「人工物の美」(左)と比較されたヘレニズム時代の彫刻(右)

冷たい合理性

 当然、リニアモーターカーは「速い」ことによって「早い」を求めたものです。「速い」だけを求めていれば、トンネル区間が約9割というということにはならなかったでしょうし、運転席に窓がないような車両デザインにもならなかったでしょう。
 窓から流れる外の景色を楽しむことも、高速で通り過ぎる雄姿を見ることも重要とはされていません。一般の人は運転席の窓からの景色を見ることはできませんが、最もスピードを感じるはずのその景色を想像することさえ封印して「実用上必要ないので付いていません」ということになっています。
 人間をA地点からB地点に早く移動させるためにはどうすれば良いか?いや、物体をA地点からB地点に移動させるためにはどうすれば良いか?そんな冷たい合理性を感じます。
 50年という時間をかけて私達はようやく、こういう種類の合理性を求めていないことに気付き始めたのかもしれません。「コスパ」という言葉が良く使われていますが、これは短時間のうちにどれだけ成果が得られるかという「速さ」を基準にした考え方です。このような経済原理は今まで多くの人が盲目的に「良い」と思ってきました。
 経済原理に組み込まれた「速い」と「早い」への称賛は未来派などよりよほど徹底しており、単なる美意識に留まらず、交通やコンピュータ、生産工程などの産業はもとより、生活の隅々にまで「速さ」が求められるようになります。これがリニアモーターカーを実現へと駆り立てた原動力です。

「良い事」に向き合う態度

 しかし、「リニアモーターカー不要論」は、そんな強固な「速さ」への信仰も力を失いつつあるということなのかもしれません。現在は東京から大阪まで2時間30分かかり、出張となれば一日仕事、場合によっては泊りがけです。昼食には駅弁を買って、仕事終わりには先方と飲みに出かけるかもしれません。日帰りでも新幹線のなかで冷たいビールを流し込めます。
 これが1時間ちょっとに短縮されたら、日帰りは当然で、場合によっては午前中で往復して午後には東京のオフィスに出勤ということもできます。そんなスピードを誰が求めているのでしょう?
 出張する人も、出張先の人も望んでいません。望んでいるのは経済原理そのものです。それに参加する個々人はそんな「速さ」にも「早い」にもうんざりしているのではないでしょうか。

 このような経済原理は何故「良い事」になっているのでしょうか?
 もちろん、経済的に豊かになれば皆が幸福になるということなのでしょうが、大阪まで2時間で往復できる「速さ」が本当に経済的な豊かさにつながるのか疑問です。ましてや、経済的豊かさがそのまま幸福に繋がるわけではないことにも気付いています。それが「リニアモーターカー不要論」の正体です。

 改めて考えると経済原理を盲目的に良い事とする態度は、理屈抜きで速度の美を礼賛した未来派と通底するものがあります。経済原理もそれが単に「良い事」というのは限界を迎えていて、時と場合によりけり、状況に合わせて判断が必要になってきているのではないでしょうか。

 私達は自分が生きてきた時間で物事を考えます。ほんの数十年という時間のなかで培った常識を何か不変の真理のように思いこみ「良い事」や「悪い事」を判断してしまいがちです。しかし「速い」ことに対する認識が変遷しているように、様々な常識も実は流れ移ろいゆく自由なものなのかもしれません。

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 1979年に発売された松原みき『真夜中のドア〜stay with me』がSpotifyのバイラルチャートで急上昇し、2020年12月には世界1位となりました。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、オーストラリア、インド、シンガポール、フィリピンなど各国のバイラルチャートでも1位を獲得したということです。
 素敵な楽曲は時代も国も超えて聴かれるという当然のことなのですが、数少ない私のCDコレクションの一枚だったので、感慨深くこのニュースを聞きました。

「どこにも無い都市」への憧れ

 『真夜中のドア〜stay with me』は失恋の歌ですが、どこかドライであまり悲壮感がありません。"stay with me"という英語のフレーズが心地よくリフレインし、歌詞にも自立した女性の客観的な視点が感じられます。70年代に全盛だった演歌や歌謡曲とは明らかに違う雰囲気です。
 この曲を聞いて感じるのは、当時も今も、洗練されていて、上品で、最新の流行を感じさせる、要するに「都会的」ということです。シティ・ポップというジャンルに入るようですが、シティ・ポップは「都市と自分たちとの関係性を描く」ジャンルと言われています。シティ・ポップでは「ショーウィンドウ」や「高速」や「飛行場」など都市のアイコンが歌われ、都会の風景が切り取られます。そして、その都市はニューヨークでもロサンゼルスでも東京でもなく、どこにも無い架空の都市なのだと思います。架空の都市とすることで、実際には過酷な都市生活の現実から離れ、自由にイメージの都会に「憧れ」ることができるのです。

モダニズム

 そんな、都会への憧れとは何なのでしょう?
 しかも、「どこにも無い都市」に惹かれるというのはどういう意味があるのでしょう?
 
 私達は、都市は「カッコいい」もので、田舎は「ダサい」ものというような価値観(最近はそんな風潮も無くなってきましたが...)を何か当然のように受け入れています。18世紀に産業革命が始まる前まで、イギリスではほとんどの人が農村に住んでいました。そのころはまだ都市が「カッコいい」などという考え方はなかったと思います。19世紀中葉まで続いた産業革命の後では人口分布が逆転し70%以上が都市に住むようになりました。国は労働者を集めるため都市生活の素晴らしさ喧伝したでしょうし、実際に都市に住み始めた人々は「住めば都」というように新しい環境を肯定するしかなかったのだと思います。
 そうして徐々に作られた都市生活の価値観は19世紀末から20世紀中葉にかけてのモダニズムによってある意味完成されます。モダニズムは、文学や音楽、絵画、建築など様々なジャンルに跨る芸術運動ですが、どのジャンルにも共通しているのは、それまでのヨーロッパの古い伝統である君主制や封建主義などの権威主義的な思想や体制を拒絶し、現代に相応しい価値観を提起したということです。
 例えば、建築の分野では、それまでの歴史的な意匠を否定し、機能主義、合理主義が追求されました。コルビジェやミース、グロピウスなどの無駄を省き利用者視点で機能的に造られた建築は、個人を主体にする近代に相応しい価値観として世界中に広まりました。
 何故、都会に憧れるのか?という疑問には、この当たりにヒントがありそうです。つまり、産業革命以降、個人主義や合理主義が普及し、これを体現している造形物やライフスタイルを美しいとする価値観がモダニズムを契機に支配的になったということです。そして大事なのは、モダニズムは「古い伝統を拒絶する」ということです。つまり地域社会に残る共同体的なものや権威主義的なものは排除されることになりました(田舎は「ダサい」)。
 そしてモダニズムにおける、現代以降の「何か新しい」ものを肯定し「古い伝統」を排除する態度は、結果的に興味深い副作用を生み出します。

ヴァルター・グロピウス設計 バウハウス・デッサウ校舎(1926年)

過去を否定し、現在以降を肯定するということ

ネオ・ゴシック様式(装飾!) 
Wikipediaより ウェストミンスター宮殿 Mайкл Гиммельфарб (Mike Gimelfarb) – 投稿者自身による作品

 イタリアで17世紀まで続いたルネサンス建築は古代ローマの建築様式を取り入れたものでした。18世紀イギリスのネオ・ゴシック様式は12世紀フランスのゴシック建築を復興する運動でした。ヨーロッパには過去を再解釈することで、新しい表現を創造してきたという伝統があります。
 これは、建築だけではなく、人間の営みは多くの場合、過去を参照しています。しかし、「古い伝統」を排除するモダニズムには、現代から先、つまり未来しかありません。古代ローマ時代も12世紀のゴシック建築も理想とすることができないのです。未だ到来していない未来に価値を置くというのは、「無いもの」を理想とするということです。

 シティ・ポップでは、どこにも無い「イメージ」の都市への憧れが作用していました。これはモダニズムが標榜した「現在以降」の「何か新しいもの」を肯定することと相似形です。
 もう一つの疑問「どこにも無いものに惹かれるのはどのような意味があるのか?」ということについてもモダニズムのなかに答えがありそうです。モダニズムもシティ・ポップも、今まで存在したことないイメージを理想としています。そして、その理想は決して実現することがないので無限に人々を駆動することができるのです。イメージへの「憧れ」なので、それは決して実現しません。しかし、イメージであるからこそずっと「憧れ」させることができます。
 モダニズムの時代、19世紀末から20世紀中葉というのは資本主義が世界を覆った時代でもあります。資本主義がゴールの無い資本獲得のゲームということと、モダニズムの実現しない理想とが相似形なのも偶然ではないのかもしれません。シティ・ポップはまさにそんな時代の価値観を体現しているのではないでしょうか。

インドネシアに流れるジャパニーズ・シティ・ポップ

 『真夜中のドア〜stay with me』の世界的なリバイバルはインドネシアが発端です。Rainych(レイニッチ)というアーチストがカバーしたことから火がつきました。では、このリバイバルにも、モダニズムの価値観が影響していたのでしょうか?
 都会への憧れ、それも、どこにも無い都市への憧れを、1970年代の日本と同じように抱いていたかというと、それは、まったく違うのだと思います。インドネシアでは、既に十分都市化が進みグレーター・ジャカルタの人口は約2,400万人で世界第2位の規模になっています。住人達は、世界の他の国と同じように、理想とした都市生活と現実とのギャップを日々見つめているのでしょう。
 そんな、都市の日常生活で日本のシティ・ポップはどのように聴かれたのでしょうか。
 「昔、そんな都会の生活に憧れたことがあった」
 「でも、それはどこにも無い都市だったんだ」
 という感慨ではないかと空想します。
 過去に理想としたものが本当は存在しなかった。でも、それを懐かしく思い出す。それは、言葉の本当の意味での「ノスタルジー」なのかもしれません。インドネシアの人達はそんなノスタルジーをポジティブに感じることができる。それが、世界中の人々の共感を呼んだのかもしれません。

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引用元:サーチライト・ピクチャーズ『ノマドランド』作品情報

 映画『ノマドランド』は2008年に起こった経済危機の影響で、持ち家を失い車上生活を余儀なくされた人々を描いています。ノンフィクションである『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』がベースになっており、リアリティのある描写が印象的ですが、貧困や格差社会を糾弾するような内容には感じませんでした。
 リーマン・ブラザーズによる無謀な住宅ローン販売に端を発する世界的不況のあおりを受けて生活が一変してしまった。そんな主人公の物語というと、やり場のない怒りや悲しみ、不正を許さない正義がテーマになりそうです。でも、そんなことは描かれません。それは何故でしょう?
 この映画で感じるのは「何か新しいことの始まり」の予感です。それは何なのでしょう?
(以下、ネタバレあり)

Amazonの描かれ方

 車上生活を始めたファーンはAmazonの物流倉庫で臨時雇いとして働き始めます。実際にAmazonはCamper Forceというプログラムを持っていて、オートキャンプ場に宿泊する人々を集め繁忙期の季節労働者として採用しているそうです。ここでファーンは同じ車上生活を送る人たちと知り合い、彼らのコミュニティに接する機会を得ます。
 Amazonといえばファーンがいまの生活を始める原因を作ったリーマン・ブラザーズと同様、グローバル資本主義の代表選手です。しかし、この映画でAmazonは労働者を搾取する強欲な企業として描かれているわけではありません。もちろん優れた労働環境を提供する人間味あふれる企業として描かれている訳でもありません。それは、ただ「環境」として描かれています。車上生活者が季節ごとに集い、生活の糧を得、限られた交流を行う「環境」です。そこではAmazon(的な資本主義を含めて)を否定も肯定もしていません。
 ファーンは旅の途中でアメリア中西部の砂漠や海岸や森などを訪れ、その美しい景色が描かれますが、Amazonもこれらの景色と同じようにファーンの背景として描かれます。美しい砂漠や海も、時には灼熱や荒波で人々を寄せ付けない姿を現します。グローバル資本主義もその行き過ぎによって災禍を引き起こしますが、それは、砂漠や海や森と等価なのかもしれません。

自然との関わり

 ファーンは職を求めて旅しますが、アメリカ各地の美しい自然を一緒に体験できるのも、この映画の醍醐味になっています。砂漠の美しい夕焼け、巨大な岩山の国立公園、巨木が茂る森林、激しい波が打ち寄せる海岸、どれも印象的なものばかりです。
 この美しい景色に感情移入していくことになりますが、そこには、何かいつもとは異なる感覚が付きまといます。そう、ファーンと一緒に周っている私達は「ツーリスト」ではないということです。彼女にとっては生活のため、生きるための旅なのです。でも、それは悲壮感を伴うものではありません。動物達が生きるために移動するのに感傷的になったりしないようにファーンの旅も淡々と続きます。
 それは、生きることと自然が同じレイヤで語られているということです。現代人は自然を何か有難い特別なもののように感じるか、あるいは、それと対峙してコントロールしてやろうと考えるかのどちらかです。そもそも人間の営みも自然の一部であったのですから、本来はファーンの視点こそが「自然」なはずです。そんな「自然」な視点で見た自然に私達は改めて感動するのです。

友人・家族・恋人

 ファーンは旅の途中で出会う人々に共感し時には行動を共にします。人々もまたファーンを思いやりを持って迎え入れます。彼女は車上生活を始めてから3回「家で暮らさないか」と誘われます。友人と家族、そして恋人からです。旅の途中で出会うこれらの人々とのコミュニケーションは彼女を元気付けます。彼女が生きていくうえでの具体的な力となっていたかもしれません。でも、彼女はその誘いをすべて断ることになります。そうした人々と継続した関係を作ろうとはしません。以前のあり方には戻れなかったのです。車上生活を始めた彼女に訪れた変化を一番象徴していることです。
 夫に先立たれ、止む無く車上生活を始めた彼女は、夫との思い出が残る家財道具を倉庫に預け旅に出ます。それは夫との生活にアイデンティティを見出していたということです。夫を失ったいま、新たなアイデンティティは友人や姉、新しい恋人との生活の中には無かったのです。ノマドとなった彼女が見出したアイデンティティとはどのようなものだったのでしょう?

「最後のサヨナラはあり得ない」ということ

 車上生活者の友人が亡くなり、コミュニティの仲間と見送ったあと、コミュニティの年長者は言います。
「我々はサヨナラは言わない」
「実際、サヨナラを言っても半年後や5年後にばったり会うことになるんです」
「なので、また、どこかで会いましょう“See you down the road”と言います」
 ノマドは自分が定住する土地を持ちません。所属する組織や家族も持ちません。そんな彼らは半年ぶりに会う友人や5年ぶりに会う友人との関係のなかに生きています。旅する道や自然環境との関係のなかで生きています。そして、Amazonなど人工物との関係のなかで生きています。
 その関係は時に強まり、時に途切れ、また繋がりを繰り返します。そのような揺れ動く関係そのものがアイデンティティであったなら誰かと永遠にサヨナラということは無いのです。
そして、それは死者に対しても同じなのです。

そして、ポストヒューマンへ

 哲学者のロージ・ブライドッティは既に「人間」という枠組みの有効性は失われ、我々は「ポストヒューマン」になっているといいます。それは高度に情報化しグローバル化した社会と「人新生」と言われる地球環境の大きな変化を受け、従来「人間」と考えられていた概念が修正を迫られているというものです。
 近代以降、主体は個人に帰属してきました。また、個人は法人や国や民族などに所属することでそれをアイデンティティとしてきました。これが、男性、白人、ヨーロッパ中心の世界を作り上げてきたのです。そこから、健常者と障がい者、富める者と貧しい者、男性と女性の区分が生まれます。このような個人主義の障害を排除するために、彼女はノマド的な主体のあり方を提起します。それは、個人や所属する集団に固定されたものではなく、ながれうつろう他のものとの関係のなかに作られるものです。自分と周りの生物や非生物との関係のなかに新しい主体を見出します。
 「ノマドへの生成変化のプロセスが含意するのは、自らを世界の中心だと捉え、伝道師を買って出るヨーロッパの役割を拒絶することである。」
 自らを世界の中心だと捉えたヨーロッパ文明の最果てがリーマン・ブラザーズでありAmazonだとすると、この映画で描かれるノマド的主体はこれを拒絶するというよりも、それさえも包含するような視点を私達に示してくれます。

 久しぶりにネバダ州の家に戻ったファーンは家財を処分して再び旅にでます。これがポストヒューマンになった瞬間ではなく、彼女は既にポストヒューマンだったのかもしれません。そして、それは私達すべてに言えることなのかもしれません。

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 デザイン理論の歴史では、デザインは「直観」なのか「科学」なのかという議論が継続して行われてきました。従来からデザインは特別な才能を持ったデザイナーが行うものとされてきましたが、1960年代にデザインを「科学」における思考方法として捉えたのがハーバード・サイモンでした。その後1980年代に入りサイモンの「デザインは科学に立脚する必要がある」という考えを批判したのがドナルド・ショーンです。彼はデザインには神秘的で直観的な側面が残るとしています。21世紀に入り「デザイン思考」はデザイン業界を飛び越え、あらゆる領域でスポットライトを浴びるようになります。しかし、デザインは科学のように形式化できるのか?それとも個人的な直観に依存する神秘的な何かが必要なのか?その答えは宙ぶらりんのままです。        

 そんな宙ぶらりん状態で起こっている問題を鋭く指摘した文章があります。石橋秀仁氏の『「デザイン思考」の神秘と欺瞞』というブログ記事です。

“「デザイン思考」の神秘と欺瞞"という記事

 このなかで石橋氏はデザイン思考そのものはリスペクトしつつ、デザイン思考をめぐる言説を批判しています。(以下、下線部が引用です)

 観察・分析をもとにデザインのコンセプト(概念)を作る作業は文字通り「概念操作」です。いわば言語的な操作、象徴(シンボル)の操作とも言えます。でも、それをプロトタイプというかたちにプレゼンテーション(現前化)するところには飛躍が必要です。(中略)この飛躍は「発想」の際に生じます。「発想」の場としての「ブレインストーミング」(以下「ブレスト」)において飛躍が生じます。

 として、デザイン思考に元々内包されている「飛躍」とそれが起こる「ブレスト」にフォーカスします。 

 ブレストのプロセスは、本人や観察者が細かく分析しようとしても、なかなか解明されないでしょう。その意味で「ブラックボックス」です。(中略)ブレストという「コミュニケーション」はシンボルの交換や操作といった理知的(インテリジェント)な「コミュニケーション」ではないと感じます。イメージ的で、反射的で、身体的で、無意識的で、カオスで、神秘的な「コミュニケーション」です。

 このようにデザイン思考の最も重要な局面である「発想」が神秘的なもので理知的には還元できないとしています。それでもこのような思考方法を取るデザイン思考を西洋社会の新たな動きとして肯定的に捉えます。

 個人の心の中で起こる無意識的・創造的な活動だからこそ、個性的・独創的・属人的な発想につながりやすいのがブレストだと思います。もし、「デザイン思考」に思想的な意義があるとしたらこれです。伝統的西洋思想では「方程式を解くような非属人的・形式的・人間疎外的な手法」を通じて解を導き出すことがよしとされてきました。これに対して、新たに「属人的・非形式的・人間依存的な手法」が「発見」され、「デザイン思考」として西洋社会のインテリ層に普及しつつあります。

 2012年の文章なので、日本にデザイン思考が紹介され始めた頃です。この時点で、ここまで深い洞察を持たれていた石井氏には、ただただ敬服してしまいます。そして、デザイン思考に隠されている「欺瞞」にも焦点を当てます。

 しかし、ここには「デザイン思考」の欺瞞も隠れています。”形式化の外側にあるものを手法として形式化するという矛盾”をはらむ「デザイン思考」の「本質」は、神秘的に語られるしかありません。これについては「デザイン思考」自体が悪い訳ではなく、そもそもデザインという行為には神秘的な瞬間が生じるのだからしかたありません。しかし「デザイン思考」という「誰にでも実践できる洗練された手法」があるかのうようなプレゼンテーションは嘘っぱちです。「デザイン思考」がまるで「非属人的・形式的・人間疎外的な手法」であるように見せかけているのです。

 引用が長くなりましたが、石橋氏はデザイン思考の「本質」は形式化の外側にある神秘的なものだとしています。ここでいう「神秘的」というのは反射的、身体的、無意識的、属人的なもので、「修行」によってしか体得できないので、これを「誰がやっても素晴らしい結果が出る手法」のようにいうのは「欺瞞」であるというわけです。従来のデザイン思考で説明されている範囲を対象にするなら、私も石橋氏の指摘をそのまま100%支持します。

「神秘」ではなく「アナロジー」

 さて、神秘的と言われている飛躍は「発想」の際に起こるのでした。それはたびたび「ブレスト」というコミュニケーションを通じて生じます。「ブレスト」は多様な参加者が既存概念や先入観にとらわれずに自由に発言することで、お互いの発想を利用して新たなアイデアを生み出すことを期待しています。そこでは因果関係は無視され論理的な思考も抑えられ、様々なイメージが氾濫することになります。様々なイメージは思いもしないイメージ同士の結合を生じます。

「今は軽量化のアイデアを出しているのに、こいつはなんで宅急便の話しをしているんだ」
「試作品が宅急便で届くのか、、、宅急便のドライバーは台車で荷物を運んでいていつも忙しそうだ」
「そもそも軽量化は運びやすくするためだよな、、、宅急便の台車には車輪があるなぁ」
「軽量化が難しければ車輪をつけてしまえばいいのでは!」

「耐久性が問題なのに、またサッカーの話しをしている」
「あれあれ、こっちの人は家庭菜園の話しを始めた」
「次はなんだ、地球温暖化の話しか、、、、」
「でも、どの話しも面白い!このメンバーならどんな聴衆でも満足する講演会ができそうだ」
「そうか!色々な材料を組合せればあらゆる環境で耐久性が保てるかもしれない」。

 神秘的と思われている発想の「飛躍」は多くの場合このように起こっているのではないでしょうか。行われているのはアナロジー思考です。「類似しているものから推しはかって考えること」が発想の飛躍をもたらしています。

 軽量化しなくてはならない製品は「運ぶ」ということで宅急便の荷物と類似性がありました。宅急便は台車で運ばれ、その台車には車輪が付いています。そこから「車輪」を付けるというアイデアが生まれます。製品そのものや、軽量化の技術をどんなに時間をかけて考えても「車輪」の発想には辿り着かないでしょう。

 温度や湿度、粉塵や衝撃など耐久性を問われる環境は様々です。これは、ブレストメンバーが魅了するであろう「様々な聴衆」がいる環境と類似しています。ブレストメンバーの個性の多様性から、単一の材料ではなく複数の材料という発想が導かれます。

 多分、「本質」は「神秘」ではなく「アナロジー」です。 

それでも「体得」する部分はある

 それでは、アナロジー思考は伝統的西洋思考のように形式化できるのでしょうか?私は形式化は可能ですが、それには限界もあると考えています。有効な手順に沿って進めることで、アナロジー思考への敷居を下げ、成果のレベルを上げることはできます。しかし、誰もがいつでも素晴らしい成果を出せるようなものではありません。

 これは、あらゆるスポーツや楽器演奏、その他の熟練が求められる職業にも共通しています。テニスには、ラケットの持ち方、腕の振り方、両足への体重のかけ方などを教えてくれる教則本があります。スクールに行けばトレーナーがメソッドに沿ったコーチングをしてくれます。誰でもある程度は上手くなりますが、そこから先は人それぞれ。素質と練習量が上達曲線の主な係数です。

 アナロジー思考もプラクティス(練習)が重要なことは同じで、それがメソッドに沿ったものであれば更に効果的だと思います。どうしても、最後は属人的に体得していかなければならない部分は残りますが、それは、テニスでもゴルフでもバイオリン演奏でも、ほとんどの職業においても、同じことなのです。

 ナイジェル・クロスは「創造的飛躍」がデザインプロセスの中心だといいましたが、これはアナロジー思考に近いものだと思います。彼はデザインを科学から独立可能な専門技能と主張していましたが、一方で「デザインは神秘的で言葉では表せない技能として扱う必要はない」とも言っています。「直観」か?「科学」か?の対立ではなく、デザイナーが持つ独自の認識、感知、思考の方法が「創造的飛躍」をもたらすというものです。デザイナーが持っている「独自の認識、感知、思考の方法」はテニスと同じように練習で培われるのは間違いありません。

神秘主義への処方箋

 「デザイン思考」の形式的手法をなぞって実践していれば、あたかも「機械的」に成果が出ると思っている。そういう人はもちろん失敗します。失敗したときに「まだ自分が知らない何か」=神秘があるように思えてくる。そして「秘術をマスターした人」=権威に頼りたくなってくる。

 石橋氏はこのように「体得」が必要なのに形式知だけで実践できるかのような言説は結果的に権威主義に陥ると警鐘を鳴らしています。こうならないための処方箋はどのようなものでしょう?

 まずは何事にもたいていは「体得」する領域があると認めることでしょう。そして、その領域を出来るだけクリアに見渡すことです。デザインにおける「飛躍」は個性的・独創的・属人的な発想が契機になるのですが、このままでは「何を」体得すればいいのか分からないままです。その結果の「秘術」→「神秘主義」→「権威主義」ということです。発想の際に行われているアナロジー思考を理解することで「何を」体得する必要があるか分かります。「ボールを遠くに飛ばす」を体得するのは難しいですが、「スイングのフォーム」と「体重移動のタイミング」を体得するというのは、何をすれば良いか明らかです。これは単に具体化のレベルの話しですが、とても重要だと思います。
 もう一つは、「隠されていて、分かる人だけが分かる」ということに価値を置かないことです。「体得」が必要なのに形式知だけで実践できるかのような言説は結果的に「隠されている」こと自体を価値にしてしまいます。これが神秘主義のスイッチです。バイオリンもテニスも「隠されている」手法に価値などなく、活動の成果である美しい演奏や素晴らしいプレイなどが価値です。それは、デザインもアナロジー思考も同じなのです。

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 最近「ポストヒューマン」とか「ポスト人間中心主義」という言葉をよく目にするようになりました。デザイン思考はもとよりデザイン一般においても「人間中心」が大看板です。利用する側であるユーザーのニーズや能力を理解し「人間」である彼らの期待に応えることを命題にしてきたのです。これは、モノづくりが「生産者」の都合で行われ、利用する人達がないがしろにされてきたという経緯が関わっています。生産するための機械や生産者の儲けを優先するのではなく、利用者のことを第一に考えましょうというものです。
 デザインの文脈で「ポストヒューマン」という言葉を聞くと、いままでの前提が否定されているようにも聞こえます。いったい「ポストヒューマン」とは何なのでしょうか?私の考えでは、デザインにおける「人間中心」の考え方を否定するものではありませんが、その前提が「崩れて」いるということだと思います。
 前提というのは「ヒューマン=人間」です。

地球環境の変化とテクノロジーの進歩

 ここ数十年で人類に大きな影響を与えたトピックと言えば、地球環境が大きく変化したことと、テクノロジーの爆発的な進歩でしょう。第二次世界大戦以降、急速に進んだ人口増加や工業化、グローバリゼーションなどの影響で二酸化炭素やメタンガスの大気中濃度、成層圏のオゾン濃度などがこれまでにない影響を受けているといわれています。
 最近になって、私達は1950年代に始まった「アントロポセン(人新生)」という地質年代を生きているのだといわれるようになりました。これは、現在の人類が地球に与えている影響が地質年代という遠い未来からでも明らかなほど大きな痕跡を残しているというものです。火山の噴火や氷河期などに匹敵する、地球規模の急激な変化は人類が起こしているものなのだという自覚を促す言葉です。

 一方、同じ1950年代にIBMが初めての商用機を発売し本格的なコンピュータの時代が幕を開けます。現在ではAI技術の進歩でコンピュータは人間の声や顔を認識し感情も検出できるようになりました。私達は様々なIoT機器が組み込まれた空間で生活し、VRは新しいリアリティを示しています。そして、SNS上ではいくつものアイデンティティを持つようになりました。
 こうしたテクノロジーは生身の身体とも融合を初めています。外骨格型のパワードスーツは既に実用化が始まっており、ICチップを体内に埋め込むことに抵抗の無い人もいます。イーロンマスクはブレイン・コンピューター・インターフェースで脳とコンピュータの接続を目指しています。
 人間の身体自体も様々な観点で工学の対象になっています。近年の合成生物学の進歩はDNAを書き換えることで、病気を治療したり特定の病気になり難い身体を作ることを目指していますが、その先に見えてくるのは、今までにない新しい生命です。

 私達人間が地球という規模に影響を与えているという事実は、その上で暮らすすべての生命と(そして非生命とも)一蓮托生だという認識を深めます。人間だけが暮らしやすく幸せということはないのです。それは人間が特別であるという考え方の見直しを迫ります。自然環境を消費することで「人間」のテリトリーを快適に守ってきた私達は「自然vs人間」という対立軸で考えるのではなく、同じ地球環境の一要素であることに気付き始めています。
 テクノロジーは私達の身体を拡張し生命そのものの概念を揺さぶり始めています。生まれたときの身体を自分と考える「人間」もいますが、電子機器に接続された身体を持ちインターネット上の仮想空間に新たな自分を発見する「人間」もいます。 これからはバイオテクノロジーで改変された身体を持つ者も現れるでしょう。「人間」とそうでないものとの境界がボヤけ、ますます曖昧になっています。

「人間」という抽象的な概念

 そもそも「人間」という言葉が抽象的です。アナロジカルデザインでは抽象化が鍵になりますが、ここでは「人間」を考える入り口に少し唐突ですが「自動車」をアナロジーとして考えてみます。
 子供が「僕のお父さんは自動車の仕事をしてるんだよ」と言ったとき、あなたの頭の中には何がイメージされるでしょう?「自動車の仕事」には、例えば「自動車を販売する」というのもありますが「テスラ・モーターズで自動運転システムを設計」している場合もありますし、「改造車向けの板金加工」をしているのかもしれません。さらには「F1レーサー」かもしれませんし「路線バスの運転士」の可能性もあります。日本の就業人口の10分の1は何等かのかたちで自動車に関連しているともいわれているので、その内訳は当然様々ということです。
 「人間」という概念も「自動車の仕事」と同じように抽象的です。「人間にとって重要」「人間のために」「人間だからこそ」という言葉は本当は意味がないということが分かります。「F1レーサーにとって重要」なことと「自動車のセールスマンとって重要」なことが違うように、自動車の仕事をしている人すべてにとって共通の重要事を定義するのは困難です。
 「人間」においてもこれは同じことなのですが、何故か「人間にとって重要」なことにはコンセンサスが得られているように感じています。

 ここで、改めて「人間」を「自動車の仕事」と同じ要領で具体化してみましょう。
・火山の噴火や隕石の衝突のように地球環境に影響を与える要素
・動植物を絶滅させる根源でありかつ動植物が無いと絶滅してしまう哺乳類
・AIやbotなどと共に巨大なネットワークを構成するエンティティの一種
・電子デバイスとの結合や生物学的な改変で新たな進化の過程を向かえた生物種

 「人間」という言葉には暗黙のうちに「動物じゃない」とか「機械じゃない」という意味が含まれてきました。しかし、現在の状況下でよくよく考えてみると「動物じゃない」ことや「機械じゃない」ことに重要な意味がないことに気付きます。そうすると「人間」という言葉で抽象化されてきた概念は見直しを迫られます。そこに見えてくるのは「人間」という使い古された言葉ではありません。
 哲学者のロージ・ブライドッティは『ポストヒューマン』という著作で「人間」という枠組みが時代遅れであると指摘しています。「人間」という物差しが男性と女性、白人と黒人、健常者と障害者、富めるものと貧しいものなどの区分を生んだのです。グローバルにネットワーク化が進んだ現在、こうした区分は乗り越えることが可能だし、そもそも混じり合って綺麗に区分できない状態が生まれているというのです。このような状況で「人間」に変わるものとして彼女が提示するのが「ポストヒューマン」です。

ポスト人間中心デザイン

 デザインは「問題を発見しこれを解決する活動」ですが、現在の状況で旧来の「人間」を軸に問題発見や問題解決を試みても限界があります。「人間vs動物」という対立構造では「動物」を遠ざけ自分たち「人間」のテリトリーをいかに確保し快適に暮らすかという発想になります。「人間vs機械」という構造からも同じように人工物を忌避し自然を神聖視するか、反対に人工物を金儲けの手段として盲目的にありがたがるかのどちらかになります。
 このような視点では、旧来の「人間」における問題は発見・解決できるかもしれませんが、それは、本当に有効なことなのか?という疑問が生じます。これが「ポスト人間中心デザイン」の出発点です。人間と動物(などの地球環境)や機械(に代表されるテクノロジー)を対立するものとして捉えるのではなく、全て等価で社会的にも物理的にも融合する可能性がある単なる要素であるとしたとき、まったく新しい問題が立ち上がってきます。

 カルフォルニア美術大学のホーコン・ファステはポスト人間中心の観点でもデザイナーは積極的な役割を果たすことができるといいます。彼はこの先、テクノロジーの進歩により人間の知能を超えたものが生み出されることを前提にしており、これが世界に及ぼす影響を考えコントロールすることにより社会を維持する必要があると考えています。それを行うのがデザイナーというわけです。
  初めて訪れた空港で「人間」が迷わず飛行機に乗って目的地にたどり着くのを助けたのが人間中心デザインでした。 人間の知能を超えたものが、暴走することなく社会に順応し力を発揮するようにデザインする。ファステが考えるのは人間の知能を超えたものが社会が目的とするところに迷わずにたどり着くためのデザインです。

「誰のためのデザイン?」もう一度

 D・A・ノーマンの名著『誰のためのデザイン?』の原題は「The Psychology of everyday things(毎日使う道具の精神分析学)」です。この本は「人間中心デザイン」をいかに実現していくかというのがテーマなので『誰のためのデザイン?』という日本語版タイトルは秀逸です。「ポストヒューマン」の議論が活発になるなか、もう一度「誰のためのデザイン?」が問われているのでしょうか?
 ブライドッティはポストヒューマン時代の主体性は個人でもなければ、個別のアイデンティティをもった法人や国や民族のような固定化したものではないといいます。それは、流れうつろう他のものとの関係のなかに作られるものだといいます。「ポストヒューマンになるということは、人間たちに無関心になるとか、脱人間化されるとかいったことではない」ともいっています。
 機械や動物や環境などとの流れうつろう関係というのは実に多種多様です。デザインが暗黙のうちに基盤に置いてきた「人間」そのものが揺らぎはじめているのですから、もう「誰の」のように特定することは難しいのかもしれません。そこには新しい問題が山積みです。そしてそれらには誰でも分かるような正解など存在しません。でも、そんな複雑で流動的な状況はデザインとデザイナーの可能性を広げてくれるのは間違いありません。

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 2015年に出版されたアンソニー・ダン&フィオナ・レイビーの『スペキュラティブ・デザイン』は新しいデザインの立場を鮮明にしていて、とても刺激的です。しかし、従来からのデザインのイメージを前提にすると分かり難い面もあります。「問題解決から問題提起へ。」というサブタイトルが示すことは何なのか?同じように、未来を舞台に問題提起を行ってきたSF(Science Fiction)を足掛かりに スペキュラティブ・デザインにおける問題提起について考えます。

SFとの親和性

 私達は「問題発見」と「問題解決」はセットで考えていて、「発見した問題は解決しなければならない」と思ってしまいます。スペキュラティブ・デザインはそんな先入観を簡単に飛び越えます。未来を予測して解決策を探るのではなく、未来の可能性を「こうもありえるのではないか」と示すことで、問題を提起し、「未来について考えさせる(思索=speculate)こと」を目的にしているからです。スペキュラティブ・デザインを提唱したアンソニー・ダンが言う「Not Now,Not Here」は可能性を広げるために構想する別世界のことです。

  アンソニー・ダン講演動画「Not Here, Not Now」 2014年12月13日、京都工芸繊維大学

 未来について考えるのは、元々SF(Science Fiction)がやってきたことです。SFも「Not Now,Not Here」を舞台に様々な物語を紡いできました。SF作家のブルース・スターリングが提唱する「デザインフィクション」は「物語世界にリアリティを与えるためのプロトタイプ(試作品)」のことを言っています。これは、まず物語がありそれにリアリティを与えるためにデザインされる創作物、というように理解できます。
 「スペキュラティブ・デザイン」と「デザインフィクション」は重なるところがあると言われていますが、「スペキュラティブ・デザイン」はデザインされたモノを入り口に、それを見る人々を別世界の物語に誘います。しかし、その物語は完結した長編小説のようなものではありません。俳句のように観点や価値観を伝える程度です。なので、そのデザインを見る者の想像力が試される、まさに、思索的なデザインです。初めに「Not Now,Not Here」という設定があり、そこにおける創作物を通して物語を駆動していくというプロセスです。

 いずれにしても、「スペキュラティブ・デザイン」はSFと親和性が高いといえそうです。視点は、いまあるこの世界の人間に向けられているのではなく、異なる世界・異なる時間に向けられています。人間中心のデザインではなく物語を構築するためのデザインは私達に何をフィードバックしてくれるのでしょうか?

Not Now,Not Hereという設定

 よく、物語は3つの要素からできていると言われます。
  ・設定
  ・ストーリー
  ・キャラクター
 この3つの要素のどれから先に考えるか、あるいは、どれを重要視するかというところに作家の個性が現れ、物語の質に決定的な影響を与えるというものです。シナリオに大金をかけるハリウッド映画などは「ストーリー」重視、日本のアニメなどは「キャラクター」重視でしょう。SFは間違いなく「設定」を重視している分野だと思います。「科学」と「空想」という手段を使って作り上げているのは「設定」にほかならないのですから。

 1953年に書かれた、アイザック・アシモフのSF小説『はだかの太陽』に出てくるのは、人口が爆発的に増え巨大なドームで外界から隔離された都市にひきこもる地球の姿です。限られたスペースを何とか共有しながら暮らしていますが、身体的な接触が過剰になっています。そんな大都市に暮らすニューヨーク市警の刑事が、地球とは反対に惑星全体で人間(大昔に移植した地球人の子孫)が2万人しかいないソラリアという星で起きた殺人事件の捜査を命じられます。この惑星の住人はほとんど人に会うことなく一生を過ごします。必要なことは3次元ホログラフィーによる通信で済ませ、経済は人間1人当たり1万台というロボットによって担われています。ドーム都市に住み「外の世界」が恐ろしいと感じる地球人刑事が、人に会うことを忌み嫌うソラリア人を相手に難事件の解決に挑むというものです。

<地球>
人口過多
プライベート空間なし(共有)
外の世界が怖い

<惑星ソラリア>
人口過少
広大な私有地
人に会うのが怖い

 こんな、魅力的な「設定」の中に殺人事件が放り込まれれば、アシモフの秀逸なストーリーには及ばなくても、他にも色々なストーリーが立ち上がってきそうです。そして、この状況は現在のコロナ禍における社会的なコンセンサスの問題にも直結したテーマです。

 このようにSFは昔から「設定」を駆使して、想像力を刺激し問題を提起してきました。「スペキュラティブ・デザイン」においても現実の世界から「設定」を変えることで、デザインのトリガーを引き、見る者の想像力を刺激するという構造は同じです。「設定」にリアリティを持たせるために使われるのが「科学」という点も一致しています。このように、まず「設定」を構想することが、想像力の入り口になっています。

問題提起型のデザインアプローチが目指すもの

 SFはデザインではないので、元々「問題解決」することは目的にしていません。問題を提起し想像力を刺激する。そして、物語で人々を楽しませたり、考えさせたりすることが目的です。SF作家に自分が提起した問題を解決する役目を負わせたら、作家たちの想像力はこじんまりたものになりそうです。
 「実現可能性」や「収益性」といったビジネスの概念が想像力を奪ってきたのは明らかです。SF作家はこのような制約を受けないので想像力の羽を広げることができたのです。一方、デザインはビジネスと連携して発展してきました。ビジネスとして成立するという制約のうえで創造性を発揮することがデザインの役割だと考えられてきたのです。

 しかし、考えてみれば当たり前なのですが、ビジネスは世界の一部でしかありません。優秀なビジネスマンも家庭では優しい父親でしょうし、町内会の役員をやっていたり、週末はボランティアにも出かけるかもしれません。ビジネスの周りには家庭や地域社会や自然環境が広がっています。そんな、世界のほんの一部のために想像力を諦めるのか?という問いが、「スペキュラティブ・デザイン」の発端になっているのではないでしょうか。「想像力を諦めない」としたデザインは問題提起型のアプローチになるのです。SFが文章や映像をメディアにしているのに対して、デザインをメディアにした問題提起です。デザインが直接、想像力を刺激し思索を促す役割を担うことになったのです。

 しかし「スペキュラティブ・デザイン」にも問題提起の「その先」を問う声があります。やはり、問題提起だけではなく、これを受けて何等かのかたちでの実装(問題解決)が必要ではないかというものです。でも、私はあまり「その先」を強調しないほうが良いと思います。SFの黎明期に「荒唐無稽だ」「子供じみた夢物語だ」という批判がありましたが、もちろんSFは実用的であることも現実的であることも目指していません。「スペキュラティブ・デザイン」も「その先」を強調しすぎると、同じような批判を受け「結局、役に立たない」という評価になってしまうかもしれません。SFにインスパイアされた科学者や技術者が革新的な発明を行った例がたくさんあるように、「その先」は受け手の想像力に任せるのがいいのではないでしょうか。

 「問題発見」の1本足で立つことが、新しいメディアとしてのデザインを模索する「スペキュラティブ・デザイン」の本来の姿です。問題を発見し想像力を刺激すること。それこそが想像力が枯渇している現代における有効性であり、私達へのフィードバックなのです。

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 カメラのデザインを決めているのは何なのでしょう?デザインの移り変わりを見ていくと「テクノロジー」と「意味」がカメラのかたちを決める大きな要因になっていることが分かります。私達の周りで技術は進む一方ですが「テクノロジー」だけでモノのかたちが決まっているわけではありません。そのモノが持つ「意味」が重要な役割を担っています。ここでは、35mmカメラの源流であるバルナックライカから大きく変わることが無かったカメラのかたちが1990年代に大きく変化し、その後、再びバルナックライカ型に回帰した経緯を辿ることで、デザインにおける「テクノロジー」と「意味」の関係を考えます。

デザインを確立したバルナックライカ

 35mmフィルムを使うカメラは1913年にオスカー・バルナックが初めて作りました。この時代、35mmフィルムは映画用のシネフィルムとして使われていましたが、これをスチルカメラに転用したのです。それまで、通常のカメラは木製の大型のもので、重いガラス製の写真乾板を使っていました。バルナックが勤めていたエルンスト・ライツ社はこの35mmフィルムを使うカメラを1920年に市販し「ライツのカメラ」(Leitz Camera )ということで「ライカ」と名付けました。

バルナックライカ(LeicaⅠ,1927)© Kameraprojekt Graz 2015 / Wikimedia Commons, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

 このカメラがその後のカメラのデザインを決めたと言われています。ただ、それは美的に優れていたというより、機能的な制約によるものでした。35mmフィルムが入ったパトローネを一方の軸に装填し、もう一方の軸で巻き上げます。両方の軸の間でフィルムの感光面が平らに広がるスペースがあり、これと直角の方向からレンズで集めた光を当てます。光が丁度フィルムの感光面で焦点を結ぶ距離になるようにレンズの位置が決められます。もちろん光は常時当たっているのではなく、一瞬だけ取り込まれるようにシャッターがレンズとフィルムを隔てなければなりません。そして、これら全ては光が入らないように慎重に塞がれたケースに入ります。ところが、この暗箱はフィルムを入れるときには簡単に開け閉めができたり、レンズを交換したり、シャッター速度を変える機構も合わせて持たなくてはなりません。さらに、これらを全て手のひらに乗るようなサイズで実現するということになります。
 これだけの機能を実現して見せたのだから、ライカがスタンダードのデザインになるのも当然です。世界中のカメラメーカーはライカをコピーすることから始めました。日本でもたくさんのライカコピー機が作られましたが、やはり日本の技術力は素晴らしいもので、なかには「ライカを超えた」と言われるほど高い品質を持つものもありました。

「ライカを超えた」と言われたキヤノンレンジファインダー Canon ⅣSb,1952 (wikipediaより GFDL, リンク

Leica M3,1954 (wikipediaより Rama – 投稿者自身による作品, CC BY-SA 2.0 fr, リンクによる)

 ところが、1954年にライカから「M3」が発売されると、その性能の高さのあまり日本のカメラメーカーがそろって開発方針を一眼レフカメラに切り替えることになります。それでも、カメラとしての原型はそれほど大きく変わっていません。ファインダーの機構が変わりましたが、ライカが設定した機能はほとんどそのまま引き継がれることになります。

 その後もカメラメーカーは沢山の名機を生み出しますが、1913年から始まった伝統は変わることはありませんでした。ライカを頂点にしたヒエラルキーは好き嫌いはあるにせよ、厳然として存在し継続していたのです。

一眼レフになっても基本構造は同じ
Nikon F,1959

テクノロジーによるデザインの変化

 ところが、1994年に、思ってもいない方向から変化が起こります。計算機の会社であるカシオがデジタルカメラQV-10を発売したのです。デジタルカメラと言えるものはこれ以前にもありましたが、QV-10は撮影画像をその場で確認できる背面の液晶パネルやパソコンと直接接続して画像を移動させる仕組みなど、現在に続くデジタルカメラの基本的な機能を実現したものでした。右側に極端に寄った位置にあるレンズ。このレンズ部分は垂直方向に回転し撮影画像を目視しながらシャッターを切れるものでした。35mmフィルムという制約が無くなったことで、カメラはデザインを思い出したように自由になります。

1994~2005 デジタルカメラ黎明期の多彩なデザイン

レンズ回転型 Casio QV-10,1994
(Wikipadiaより GFDL, リンク

香水瓶型 CONTAX i4R,2005
縦型 FUJIFILM FinePix 1700Z,1999
(Wikipadiaより Ypy31 – 自ら撮影, パブリック・ドメイン, リンクによる)
Nikon COOLPIX 950,1999
(Wikipadiaより CC 表示-継承 3.0, リンク)

SONY Cybershot DSC-F1,1996
(Wikipadiaより Morio – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる)
Canon PowerShot 600,1996
(Wikipadiaより Morio – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる)

 それはまるで、カンブリア爆発のようです。テクノロジーの発展はデザインに決定的に影響するということでしょうか?つまり、テクノロジーがモノの形を規定しているということなんでしょうか?バルナックの考えたテクノロジーがその後80年に渡ってカメラのデザインを規定してきました。そして、デジタルという新しいテクノロジーが登場した途端、カンブリア爆発を起こしたことからもこの考えは有力に思えます。

   「テクノロジーがデザインを規定する」

バルナックカメラ型への回帰

しかし、待ってください。最近のカメラデザインを見てみましょう。

2004~2018 昔のフィルムカメラのような最近のデジタルカメラ

FUJIFILM X100,2011
(Wikipadiaより Kateer – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる)
OLYMPUS PEN E-P1,2009
(Wikipadiaより Julien Min GONG from Beijing, China – Olympus E-P1, CC 表示 2.0, リンクによる)
SONY Cyber-shot DSC-RX100,2012
(Wikipadiaより Oilstreet – 投稿者自身による作品, CC 表示 2.5, リンクによる)

Nikon Df,2013
(Wikipadiaより ranekoNikon 1 V2 + Nikon Df, CC 表示 2.0, リンクによる)

Panasonic LUMIX DMC-LC1,2004
(Wikipadiaより 663highland, CC 表示 2.5, リンクによる)

SIGMA DP-1,2008
(Wikipadiaより Ozizo – Ozizo’s file, パブリック・ドメイン, リンクによる)

 どれもみな、バルナックライカの延長のようなデザインに戻っています!横長の小箱という基本構造があり、その側面中央にレンズが付いています。操作系のボタンやダイヤルが小箱の上部に配置されているのも1913年から変わっていません。レンズ回転型も香水瓶型も縦型も進化の激流のなかでは生き残れなかったということでしょうか。ここから分かるのは、テクノロジーはモノの形に決定的に影響しますが、それが全てでなないということです。では、何が影響しているのでしょう?それは、製品が持っている「意味」です。私達が製品を購入するとき、機能だけで選択しているのではありません。その製品が持っている「意味」が大きく影響しています。

 オリンパス Penはライカのサブカメラに使える性能を目指して1959年に米谷美久さんが開発したハーフサイズカメラが源流です。ワイドレンズが付いたPen-Wは戦場カメラマンの石川文洋さんや写真家の森山大道さんが愛用したことで有名です。低価格だけど性能に妥協しない本格志向。そんなコンセプトを受け継いだのが2009年に発売されたデジタルカメラのシリーズです。

OLYMPUS PEN3,1965
(Wikipadiaより John Nuttall from Hampshire, United Kingdom – Pen D3Uploaded by oxyman, CC 表示 2.0, リンクによる)

 ライカM3ショックで一眼レフに舵を切ったニコンは1959年に「F」を発売します。プロの使用に耐える堅牢性と完成度はその後の一眼レフ全盛の時代を切り開くものでした。1980年に発売された「F3」はジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたもので、プロ仕様はそのままに自動化技術をふんだんに盛り込み、世界中で愛されるカメラになりました。現在のニコンデジタル一眼のデザインはこの時代からの系譜と言えます。

世界中で愛された一眼レフ
Nikon F3,1980

 このように製品が持っている歴史も「意味」の一つです。カメラの場合は、やはりライカとの関係でポジションを取ることが無意識的に行われてきたように思います。「ライカを超える」「ライカのサブ」「ライカが目指していない一眼で勝負」ライカとの比較やライカとの相対的なポジショニングで自身のアイデンティティを規定していく。そんな伝統がカメラには無意識的にせよあるのではないでしょうか?このようなライカとの関係性というのも「意味」の一つです。だから、デジタル技術でカンブリア爆発を起こした後も、ライカ型のスタイリングに回帰しているのです。

 「本家ライカを超えた性能を持つCanonレンジファインダー」
 「ライカのサブカメラとして有名な写真家も愛用したオリンパスPen」
 「ライカが実現できなかったプロ仕様の一眼レフで世界の頂点を極めたニコンF3」

 このような前世代のフィルムカメラに込められた「意味」を受け継いでいるのが最近のデジタルカメラです。そんな意味を持つ一台を自分のモノにしたい。そういう思いが商品を選択するときに働きます。私達はモノを購入すると同時に物語(歴史)という意味、つまり情報を一緒に買っているのです。それはライカを知らない世代にも引き継がれることになります。歴史は新たに起点を変えて語り継がれるからです。

 「伝統のFシリーズの系譜を受け継ぐNikonのデジタル一眼」

 木の幹から枝別れし、さらに枝が伸びるように、幹のことは知らなくても、枝の部分から新たな物語が始まっているからです。でも、枝はやっぱり幹に繋がっているので、デザインは源流の影響を大きく受けることになります。

「テクノロジー」の陳腐化と新しい「意味」の創出

 そうすると、なかなか革新的なデザインは生まれないように思いますが、私はそれはそれで好ましいことのように思います。新たなテクノロジーが登場するたびに物語がリセットされてしまうより、小さな物語に自分も少しだけ参加し「意味」を持つ製品を所有する喜びを感じていたいと思うからです。そして、カメラのカンブリア爆発が早々に収束したように、世の中のテクノロジーの受け取り方も抑制的であるようです。最新テクノロジーは好きだけど、それだけでモノを選択しているのではないようです。やはり、多くの人が意味の重要性に軍配を上げているということではないでしょうか。最近のカメラデザインはそれを敏感に反映したものです。

 このようなデザインにおけるテクノロジーと意味との関係は、カメラだけでなくあらゆる製品について言えることです。
 腕時計の機能は正確な時刻を知らせるというものです。ところが1970年代に登場したクォーツ技術で、この課題は解決されてしまいます。クォーツになり低価格化が進み、デジタル式や電卓が付いたもの、コンピューターが付いたものなどが登場します。しかし、今では、デザインもベーシックなアナログ式に回帰しています。外見だけでは50年前の時計と区別をつけるのが難しいのではないでしょうか。それどころか、腕時計ではテクノロジーも原点に回帰していて、機械式の高級時計が復権しています。高級時計に大金を払うのは時間を知りたいからではなく、その時計やその時計を持つ意味(ステータス)に価値を見出しているからです。

 時刻を知る機能がスマートフォンに代替されたように、写真を撮るのもスマートフォンで十分という人も多くなっています。デジタルカメラの売上も年々減少しており、その傾向は明らかです。今後、カメラはどのようになっていくのでしょう?腕時計のようにテクノロジーも回帰してフィルムカメラが復権するのでしょうか。最新の電子技術と職人達の磨き抜かれた技術で作られたフィルムカメラ。往年のF3やライカのM7を超えるような一台が登場したら、カメラはもう一度新しい意味を持つかもしれません。

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日本の伝統色「和色」

 色の名前を最初に覚えたのはいつだったでしょう?子供の頃に使った絵具からという人も多いと思います。「ぺんてる12色絵具セット」に入っているのは、しろ、きいろ、レモンいろ、きみどり、ビリジアン、あお、あいいろ、あか、しゅいろ、ちゃいろ、おうどいろ、くろになります。
 仕事をするようになって「和色」という日本の伝統色があることを知りました。こちらのサイトには全部で930の伝統色が登録されています。「赤」系統だけでも100色は超えるのではないでしょうか。これらの色は昔から染織物や絵画、焼き物などで使われていたそうで、改めて日本人の繊細さに感心させられます。名前もとても趣のあるものです。「珊瑚色(さんごいろ)」「薄柿(うすがき)」「勿忘草色(わすれなぐさいろ)」「若葉色(わかばいろ)」など植物由来の名前や「藍鉄(あいてつ)」「砂色(すないろ)」「赤銅色(しゃくどういろ)」など鉱物由来のものもあります。「鴇色(ときいろ)」「象牙色(ぞうげいろ)」など動物からとったものや、「東雲色(しののめいろ)」「虹色(にじいろ)」などの気象現象もあります。
 当たり前かもしれませんが、和色の名前は自然から取られているものが多いことに気付きます。初夏の草木のやわらかい緑を「若葉色」、夜明け前の空の色は「東雲色(しののめいろ)」というわけです。改めて、古来から日本人の生活は自然と共にあったということが分かります。
 私の色名に関する語彙はぺんてるの12色を大きく上回るものではありません。昔の日本人が930色の名前を使い分けていたとしたら、それは、本当に尊敬に値することだと思います。「石竹色」と「薄紅梅」の違いを感じるだけではなく、違いに基づいてモノを作ったりコミュニケーションに使ったりできるというのはすごいことです。2つの似た色でも隣り合わせれば、大抵は違いが分かります。でも、それぞれに違う名前を付けるというのは、また、意味が変わってきます。その名前に基づいた創作やコミュニケーションが可能になるということだからです。

名前を付けるということ

 さて、それでは「名前を付ける」とはどういうことでしょうか?それは、何かと何かを区別して理解するということです。「石竹色」は「薄紅梅」とは異なるということを宣言するために「石竹色」と名付けられています。しかし「「石竹色」より少し赤味が強いけど「薄紅梅」ほどではない」という色も存在します。「石竹色」と「薄紅梅」の中間色です。その色には少なくても和色では名前が付いていないようです。「石竹色」と「薄紅梅」の間には理論的には無限の色が含まれているはずです。名前を付けられた色については認識されますが、この間にある無限の色については普段認識されることはありません。ごっそりと取り漏らしてしまっているということです。
 もちろん、12色に比べれば930の和色の方がきめ細かな認識が可能ですが、自然界をそのまま表現しているとは言えません。コンピューター上で色を表現する方法の一つであるRGBでは「石竹色」はR:229 G:171 B:190と表されます。RGBは赤、緑、青の各色を0~255の数字で表し様々な色を表現する方法です。16,777,216色を表現できるので、930色と比べても遥かに多くの色を扱うことができます。しかし、赤,緑,青の各色を0~1023の数字で表すことも可能で、その場合は1,073,741,824色が表現可能になり、現行のRGBで表現できている色もほんの一部ということになります。これにはキリがなく、どこまでいっても私達が色を識別して表現しようとすると、一部分を切り取ったものにしかならないということです。
 とはいうものの、名前がついているお蔭で人間は創作やコミュニケーションが可能になったのも事実です。和色の名前はもちろんRGBの数列も名前の一種になりますが、このような名前を付ける行為は抽象化の典型的な例になります。抽象化することでコミュニケーションが可能になりますが、モノそのものは表すことができなくなってしまうのです。このような一長一短が抽象化という行為には付きまといます。

世界は抽象化で出来ている?

 色の名前に限らず私達が使う言葉にはすべて同じ性質があります。言葉も現実の世界を抽象化したものです。「好き」と「嫌い」の間には様々な感情があるはずです。同じ「好き」でも様々、同じ「嫌い」でも様々でしょう。「正しい」と「間違い」もすべてがどちらかに分けられるようなものではありません。ところが、私達の言葉で表すと単純化されてしまい、その言葉で表現できることに沿って行動も規程されてしまいます。言葉にはそのような限界もありますが、一方で言葉がなければコミュニケーションは非常に限られたものになってしまいます。
 「赤いリンゴを3個買ってきて」
 「赤い」という言葉は多くの人に共有されています。おなじように「リンゴ」も「3個」も「買う」も 抽象化された概念で多くの人に共有されているためコミュニケーションが可能になります。言葉を使ったコミュニケーションが可能になったので、人類は社会を作り、今のように発展することができたのです。抽象化は人が人であるための根本的な能力と言えます。

 では、言葉を持たない動物にはこの世界はどのように見えているのでしょう?
 動物は色に名前を付けることはありません。もちろん、自分の感情を言葉で表現することもありません。彼らは抽象化の恩恵、つまり言葉でコミュニケーションするということができません。しかし、彼らの認識は抽象化することで単純化されたり、切り捨てられることもありません。言葉の無い世界に住む彼らの方がこの世界をありのままに、完璧に認識しているとも言えます。12色や930色どころではなく、自然の色をそのまま体験しているのかもしれません。そして、それは「色」についてだけではないのです。

猫には色が見えていないと言いますが...