チバ・シティ・ブルース(千葉市憂愁)
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チバ・シティの40年
SF作家のウィリアム・ギブスンは1980年代に初めて「サイバースペース」という言葉を作り、インターネットが世界を覆いつくした未来を予見していました。彼がその後のテクノロジーや文化に与えた影響は絶大なものがあります。デビュー長編『ニューロマンサー』は「チバ・シティ・ブルース(千葉市憂愁)」と名付けられた第一章から始まります。舞台はテクノロジーと暴力が交錯する混沌とした未来の千葉市です。
この本が出版された頃、ちょうど千葉で働いていて、ギブスンのイメージする未来に心を奪われたのを思い出します。ギブスンが見通した数々の未来が現実になったように、久しぶりに訪れた40年後の千葉もやはり混沌としていました。でも、それは40年前から同じなので、未来予測というより単に変化がなっかただけなのかもしれません
JRの千葉駅から市街に出るといつも方向感覚がなくなります。千葉市は海沿いの街ですが、海を感じるものは何もなく、どちらが海なのか全くわかりません。駅からは三方向に鉄道が伸びており、三つのエリアに区切られます。駅舎と何かの複合施設に挟まれた狭い空間からは、自分がどのエリアにいるのか窺い知ることはできません。
そんな路地に覆いかぶさるようにモノレールの高架が走り、狭い空をさらに狭くしています。様々な構造物の隙間から家電量販店やカラオケ店が見え隠れしていて、そちらに向かって低く軒を連ねたショッピングモールが斜めの方向に続いています。ショーウインドーには顔が省略された手足の細長いマネキンがポーズを作り、LEDで発光する学習塾や農協や皮膚科医院などの看板が昼の光を跳ね返してギラギラと輝きます。
ショッピングモールに沿って少し歩くと、綺麗に整備された空間にでます。バスターミナルのようです。しかし、それを通りすぎて少し歩くと道幅はどんどん狭くなり、ぐるっと右に曲がってガード下をくぐると、小さな商店街が表れます。書店、マクドナルド、ラーメン店、化粧品店、パチンコ屋などがクルマ1台がやっと通れる狭い路地に面して立ち並びます。
しばらく歩くと交差点に差し掛かって商店街は終わりですが、この交差点も直角には交差しておらず、極端につぶれた×印のようになっており、どこをどのように横断すればい行きたい方向にいけるのか良く分かりません。この頃になると、もう、千葉駅がどちらの方向にあるかなど分かるはずもありません。
「混沌」のデザイン
ところで、混沌としているのは40年前から変わらないのですが、よく見ると駅ビルや商業施設の建物は当時のものではなく、新しく建て替えられたもののようです。それら建物に入っている商店や様々な施設なども、当時は無かったのでしょう。
あらゆるものが新しくなっているのに、混沌としているところは変わらないのです。そんな様子を見ていて思うのは、きっと私達はこんな雑然とした街が好きなんだろうなあ、ということです。綺麗に区画整理され、ガラスとコンクリートと緑の芝生が規則正しく並んだ街並みを理想としながら、実際には混沌とした街を居心地よく感じるのです。なので、街は自然にそんな様相を見せ始めるのです。
しかし、これはデザインにとっては由々しき問題で、理想とするものと本音が異なるということです。千葉駅を毎日利用する人に理想の街を聞けば、きっと、広いまっすぐな歩道と程よい緑が配置された清潔な空間を答えるでしょう。しかし、本人も気付いていない本音では雑然とした街並みを居心地よく感じているのではないでしょうか。
クリーンで明るく均整のとれたものをデザインするノウハウはこれまでにたくさん蓄積されていまが、異物が重なり合い見通しが悪くて、それでも安心するようなものをデザインするにはどうすれば良いか分りません。
デザインは世の中に秩序をもたらすことに注力してきてのだと思います。カオスからコスモスへという流れです。しかし「カオスに留まる」「カオスだけど心地よい」をデザインすることができたら、それはデザインにとって新しい1ページになるかもしれません。
さて、ギブソンの『ニューロマンサー』では財閥の長老が自ら作り上げたAIによって永遠に世界での覇権を握る計画を立てます。作られたAIも自らの計画に則り複雑な陰謀を企てます。主人公のケイスは相棒のモリイとこれを阻止する計画を実行に移します。しかし、どの計画も思い通りにいくことはありません。
デザイン(design)は中世フランス語で「計画」を表すdesseinが英語になった言葉です。物語のなかのデザイン(計画)も当人の思い通りにはいかなかったという訳で、デザイン(計画)の限界を語る物語の舞台が千葉市から始まるのは必然なのかもしれません。
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